笑うということ

ロビン•ウィリアムズが亡くなった。うつ病による自殺という見方が濃厚とのこと。

コメディアンが本当はネクラとか、人を楽しませる才能を持つひとが、うつ病になりがち、というのは割合によく聞く話だ。誰かを笑わせられる人が、自分のことだけは笑わせられないというのは、何だか深い話のように思える。以前テレビに出ていた霊能力者が自分のことだけは霊視できない、というのに似ていると思った。

私は自分で自分をネクラだとは思わないけど、人を楽しませられるかと言ったらそんなに自信はない。そして、うつが遠い存在かと言ったらそうでもない。20代の頃、うつ病のまだ軽いうつ状態、と診断されたことがある。

働いていた私は会社を休職し、結局復職を試みるもうまくいかず、退職した。あの時一緒に働いていた人たちには迷惑をかけたな、といまは思う。


それから、一年くらいは無職で、一人暮らしのアパートで、ほぼ寝て暮らした。うつになったことで学んだことは、ほとんどいまの私に活かされていない。正直、その期間の記憶が曖昧だ。通院して、カウンセリングを受けての繰り返し。そのうちお金がなくなって、働かざるを得なくなり、単発のバイトをしてるうちに何となく復活してきた感じ。

一回不思議なことがあった。

ふと目が覚めたら、知らない病院のベッドに寝ていた。ここがどこか、もー全く見当もつかない。

大部屋で、周りにも入院患者の人が何人かいて、そしたら両親が寄ってきて、目が覚めたんだ、よかったー、と言った。

何このドラマ的な展開??

と思ってたら、母親が説明してくれたところによると、偶然私の携帯に電話して電話が繋がらなかったことで、今までそんなことは何回もあったのに、今回だけすごい胸騒ぎが収まらなかった母は、夜中なのに車で隣県から私の部屋まで様子を見に来てくれたそうだ。

部屋にはいったら私が普通にベッドに寝ていて、息もしてるから、何だーよかったー、それにしてもホント散らかった部屋ね!とひとしきり片付け回った後で、ふと気がつくと、どんなに大きい音を立てても私が起きないのを不思議に思って、母が私を起こそうとしたら、私の口から泡が出てたんだそうだ。

眠ってるんじゃなくて意識不明であることに気づいた母が、飛び上がって救急車を呼び、私は病院に運ばれた。ベッドに横たわる私の横で、父が泣いたそうだ。この子は、もしかしたらこのまま目を覚まさない方がしあわせなのかもしれない、と言いながら。

病院では胃洗浄を行い、私の胃袋からはたくさんの薬が出てきたそうだが、正直そんなに薬を飲んだのも覚えてない。今となっては全てが謎で、ただ、私はあの時、死にたいとは思ってなかったのは覚えている。確かに精神を病んではいたが、むしろ死ぬことに怯えていた。繰り返しになるが、何故、私が自殺につながるような行為をしたのかは、全くわからない。そして、私はたまたま運よく、死ななかった。

ロビン•ウィリアムズも同じように、何故かわからないけど自殺につながるような行為を気づかないうちにやってしまっていたんじゃないかなあ、と考えてみる。そうであって欲しい。世界に、自分に絶望しての死よりも、あれ?何か気づいたら頭の上に輪っか載ってる?っていう方が、彼らしい。

彼は残念ながら逝ってしまったけど、彼に笑わされ、励まされて、つらいけども少しこの人生をがんばってみるか!と思った人間が世界中にいることは変わらない。

次は、私が死んだ後、ロビン•ウィリアムズ好きな人に声をかけて、団体で彼を笑わせに行きたい。そのために、今からとっておきの冗談を探しておこう。

笑うということは、肉体的な側面で言えば、横隔膜を震わせながら息と声を吐くことだ。でも、肉体がなくなってもきっと笑いは存在する。それはきっと、要因はなんであれ、魂の内側がくすぐったくなるような何かだと思っている。

拝啓 ロビン•ウィリアムズ様。
私があなたを笑わせに行く日まで、天国で待っていてください。地球でたくさん笑わせてもらった分、お返ししたいと思います。笑わせてくれて、生きる力をくれてありがとう。