アボカド太郎の復活

アボカドの種から芽が出たので、成長を楽しみにしていた。

 

snowflakesonnose.hatenadiary.jp

 

 

snowflakesonnose.hatenadiary.jp

 

 

snowflakesonnose.hatenadiary.jp

 

2泊旅行の間、換気用に開けておいた窓から強風が吹きこみ、そのせいで飛ばされたアボカド太郎は器から落ちてしまい、かっさかさに枯れてしまっていた。

f:id:snowflakesonnose:20151018211118j:plain

ごめんなさい。

しばらく水につけていたが、葉っぱはもう戻らなかったので、泣く泣く葉っぱを切り落とした。幹が生きているかわからなかったが、とりあえず水につけたままにしておいたら、またいつの間にか葉っぱが出ていた。

 

f:id:snowflakesonnose:20151018211243j:plain

背景にピントが合っているのはご愛嬌。葉っぱを切り落とした痕が痛々しくも愛おしい。命って、すごいな。

先週観た映画『バクマン。』

知り合いに勧められた『バクマン。』を観た。原作は読んだことない。漫画を描く少年たちのサクセスストーリーで、DEATH NOTEを描いた人が描いた漫画、ってことしか知らない。

f:id:snowflakesonnose:20151018204055j:plain

この映画を一言でいうと

画力のある男子高校生と、作文のうまい男子高校生がタッグを組んで漫画を描き、週刊少年ジャンプに連載を始めることを目標に集英社に持ち込みを始める。
 

こんな人におすすめ

 
週刊少年ジャンプファン。マンガ好き。熱いストーリーが好きな人。劇場は若い人が中心だったけど、かつて青年や少女だった人たちにも、ぜひ観てほしいと思った。
 

個人的感想

「創造」って、こんなに楽しい!というのが伝わってくる映画だった。何かを作るということは、すごく辛くて、大変なことだけど、その分達成感はすごいものがあるし、それが受け入れられた時の、胸の奥から炭酸がブワー!と吹き出すみたいな気持ちよさと多幸感は筆舌に尽くしがたい。

f:id:snowflakesonnose:20151018205358j:plain

歴代人気作品で埋め尽くされた集英社の廊下を作品を手に歩いていくふたり。まだまだ世の中にはじぶんより強いやつ(漫画がうまいやつ)がいる?そんなの知るか。俺たちより強いやつを、俺たちは超えていく。若さゆえの勢いとまっすぐさが観ていて小気味よい。

そんな当たり前のことを、真正面から描いた作品だなと思った。
 
漫画を描くというのは手段のひとつで、この世に「創造」する行為というのは無数にある。お料理だってそうだし、会社員の仕事だって創造の一つだと思う。
 
日々の慌ただしさに押されて忘れがちな、シンプルだけど大切なことを思い出させてくれる映画だった。
 
キャラクターもそれぞれ個性がたっていて、はまり役ばかりだったので、ほっておいても話が転がっていきそうなしっくり感が楽しかったのだけど、その中でも秀逸だったのがクドカン演じる主人公のおじさんの川口たろう氏。

f:id:snowflakesonnose:20151018205048j:plain

主人公に漫画を描くことの楽しさと厳しさをその生き様で教えてくれる役どころだけど、まっすぐに不器用なまでに実直に、ひたすらに漫画愛だけを武器に生き抜いたその姿勢がカッコ良すぎて、惚れてしまいそうだった。私はカッコ悪さを衒いなく全面に出す潔い男性に弱い。っていうか誰でも弱いと思うけど。
 
また、個人的にはヒロイン役の女の子(小松菜奈)が、不用意に触れたら消えてしまいそうな、儚く繊細な美しさで見とれてしまった。『渇き。』にて映画デビューのモデル兼女優さんとのことです。

f:id:snowflakesonnose:20151018204809j:plain

 

SHUNGA 春画展に行った

日本初、と言われる春画展に行った。


欧米では希少なアート作品としてもてはやされる日本の春画が、お膝元日本の美術館では軒並み「意義は理解できますが、そういうのは、ウチではちょっと…」と拒絶され、今回椿山荘の裏手にある永青文庫で開催の運びとなったそうな。

行ってみたら幅広い年齢層のものすごい人出で、初詣の明治神宮のように入場制限までしており、これ、「ウチはちょっと」と拒否った美術館は歯噛みして悔しがってるんだろうなーと下世話なことを思う。

春画自体はそんなに興味がなかったけど、お着物とか当時の小道具が美しそうだなと思ったのと、日本初!というミーハー心を刺激される点のみで、入場制限の長い列を15分くらい待った。

若いカップルが目立つが、なかにはわりとご年配だけどまだまだ現役感漂う、ねっとりした空気をまとった熟年カップルも多くて、一緒に行った先輩は「今夜、東京各地ですごそうだね」とまた下世話なことを言う。笑い転げる私も相当品がない。アートを見に来たはずなのに。反省。あとは美大生ぽい見た目の若者とか、こじらせ女子とか、あと外国人も目立った。男性一人で回っている人も思ったより多かった。

話は変わるが、電車の中でスポーツ新聞のエロいページを読んでるサラリーマンを見るたびに思うんだけど、そういうページ読んでも身体に変化はないんだろうか?公共の場で身体の一部分を大きくしてしまうという、わりとピンチに陥りそうな気がするんだけど、男性は一流のサラリーマンともなれば、身体の一部分の血流コントロールくらい、サラッとできるものなのかもしれない。春画展を見ていて、「これ見てて、男の人は普通に大きくなって困らないのかな」と思った流れでそんなことを考えていた。下世話から抜け出せない。反省。

言ってみれば全部性行為の模写。その絵画をどのようにバリエーションづけるか、また、見る者をあっと言わせるかの苦心の道のりが見て取れて、面白い展示だった。現代で言うと、細分化され続けて新たな面を模索し続ける、アダルトビデオの発展に重なると思った。(と偉そうに語れるほどアダルトビデオ業界には明るくない)今はビデオオンデマンドで家にいながらにしてアダルト動画を見ることができるけど、昔の人は版画一枚を手に、ありとあらゆる想像力を総動員していたんだろうなぁと思うと、豊かさの定義について再考せずにはいられない。

個人的には、着付けを習っているので、版画に表現された着物の柄あわせや色あわせの斬新さに学ぶところは大きかった。300年の間、その色彩が色褪せずに保存されてきたことにも感心。

人間の本質は変わらない。インターネットの浸透も、一説にはエロ動画を見たい人が多かったからだと聞く。春画によって日本の芸術や版画技術が研ぎ澄まされ、発展したのは厳然とした事実だ。

やっぱり日本人は職人の技を匠の技まで昇華することを得意とする技術立国であると同時に、英語だと「erotic picture」「pornography」といった平易な表現しかないエロ絵画を「春画」というなんとも雅なネーミングで表す、稀有な文化を持つ国であるなぁ。

ヤクルト400で風邪をひかない

  ふと気がついたけど、去年の年末からヤクルトレディが会社に販売しに来てくれるようになって、ヤクルト400をほぼ毎日(忘れない限り)飲むようになってから、一度も風邪をひいていない。インフルエンザもひいていない。

片頭痛で会社を休むことはあっても、いまのところ風邪や発熱は発生していない。何回か喉がイガイガするなあと思う時はあったが、「あれー?なんか喉が痛いかな?風邪かなあ」と思いつつ寝たら朝治っていた。

今までは、年に少なくとも3回は風邪をひいていたから、それから考えると、まあ今年はあと三ヶ月あるけど、二回は罹患を防いでいる。地味にすごい。

ヤクルトレディは「もう10年くらい、一度もインフルエンザにかかってないのよ」と言っていた。

ネットを見ると、ヤクルト飲むと花粉症が治るとか、ヤクルトを毎日飲んでいるがん患者が抗がん剤なしで再発していないとか、なんかすごいことがいろいろ書いてあって、ホントかよ!と突っ込みたくなるのをこらえて、ここは冷静に、自分の身体に起きた現実だけを捉えることにする。

ヤクルト400を飲むと、私の場合は

  • 風邪をひかなくなる
  • お通じがある程度整う(週末など、飲み忘れると逆にお腹を壊しがち)
この2つは確実にヤクルトのおかげ。おなかぺたんこに痩せたいけど、ヤクルトにはその効果は私には望めないみたい。

ヨガもそうだけど、自分の身体を使っていろいろ実験するのは楽しいな。また年末くらいに、ヤクルト400を一年飲むと何が違うかをレポートします!


異常な愛情

obssession
1【不可算名詞】 取りつくこと,取りつかれていること 〔about,with〕.

最近の私を英単語ひとつで表すとしたら、この言葉が一番しっくりくる。

果物にとりつかれている。

今年の夏、私は桃にとりつかれた。

毎日のように桃を買い、毎日食べていた。基本は朝食べていたけど、慌ただしくて食べられないときは、夜帰ってきてからおもむろに食べていた。帰りが遅くなってスーパーに寄れないときのために買い溜めしていた。

もともと、すいかが大好きなので、ここ数年、夏にスーパーに行ったら必ずすいかを買うのが習慣になっていた。一人暮らしなので、丸ごと1個のすいかを食べきれる自信がなく、いつもカットすいかを買っていた。それに加えて今年の夏は桃も買っていたから、私の食費は半分が果物だった。

桃の季節も終わったいま、解放されたかといえば、いまはシャインマスカットに束縛されている。一房1,000円くらいするめっちゃ高いぶどう。高すぎるよ!でも美味しいんだよちくしょう!皮ごと食べられて種無しなんだよ!

昨日ちょっとお高めのスーパーに行ったら、一房1980円のシャインマスカットが売っていて、ひとしきり悩んでやめた。あと5分で閉店じゃなければ、迷った挙句に買ったかもしれない。いや今日これから買いに行くかもしれない。

果物に踊らされる夏、からの、秋。
でも美味しいんだよね!くー。

f:id:snowflakesonnose:20150930212818j:plain

満月

今年の中秋の名月は9/27。でも満月は今日の9/28。あれ?中秋の名月って満月じゃないんだっけ?と思って調べたら、中秋の名月は旧暦の8/15のことで、必ずしも満月の日に当たるとは限らないんだそうです。

 
中秋の名月2015年はいつ?満月は見られる?由来と意味。行事食とは
 
そして今宵の満月はスーパームーン。いつものお月様より明るくて大きい。
 

f:id:snowflakesonnose:20150928223755j:plain

 
満月に向かってお財布を振ると、お金持ちになれるというおまじないも有名ですね。ちっとも効果は表れないけど、気づいた時には私もなんとなくやっています。
 
満月で私が思い出すのは、原田康子さんの小説です。

 

満月

満月

 

 

 満月の夜に、突然江戸時代から現代の札幌(と言っても本が出たのが一昔前なのでちょっと時代を感じるけど)にタイムスリップしてきた弘前藩の侍が、学校教師のまりと、その祖母の家に居候を始めるちょっとだけファンタジー小説

 
この本で、中秋の名月に里芋を食べる風習があることとか、きぬかつぎという言葉とかを覚えました。
 
大昔の侍である杉坂小弥太と、いまを生きるまりの行き場のない恋愛が読みどころのひとつ。残してきた過去には妻子もあり、戻れるかどうかもわからない状況でまりに惹かれていく小弥太と、いつ消えてしまうかもわからないサムライに惹かれていくまりの心情が細やかに描かれていて、最初から終わりが見えているふたりの恋愛に、たぶん高校生くらいの時に初めて読んだのですが、泣けて泣けてしょうがなかったのを覚えています。
 
結婚は、理性的に選択することができるかもしれないけど、恋愛って、頭でロジカルにするものじゃないんだなというのを、この本で学びました。私の恋愛観の原点はこの本にあると思っています。だからか…(ため息)。
 
今夜は満月を眺めながら、世の中のすべての恋する人たちがしあわせになるように、祈っています。私も含めてだけどな!

先日観た映画『キングスマン』

予告編が最高に面白そうで、「絶対観よう」と決めていた作品。あまりに期待ばかりが膨らんでいくので、期待だけ上回ってしまったら、と少し心配だったが、杞憂だった。

 

f:id:snowflakesonnose:20150927134908j:plain

↑思い切り007のパロディ的なポスター。

この作品を一言でいうと

王道スパイアクションをキワモノギリギリのところで映画化した、コリン・ファース主演作品。
 

こんな人におすすめ

下記のキーワードにビビっとくる人
-ブリット・ポップ
‐英国紳士
‐スパイ映画
‐ユーモア(特にイギリスの)
 

個人的感想

世の中にスパイ映画は数多くある。『ミッション:インポッシブル』シリーズしかり、『007』シリーズしかり、それ以外にもたくさんのスパイ映画やTVシリーズがかつて作られてきた。
 
多くのスパイをモチーフにした作品が世に出され、なおすたれずに新しく作られ続けるのは、そのモチーフが派手なアクションなどと親和性が高いため絵になりやすく、人々に受け入れられやすいというのもひとつあるが、生き残っているそれぞれの映画に魅力の違う主役が配され、また異なる見どころがあるからだと思う。
 
ミッション:インポッシブル』はイーサン・ハントをトム・クルーズが演じ、その超人と言っても過言ではないアクションの連続花火に目が釘付けになるからだし、『007』シリーズはジェームズ・ボンドというキャラクターは演じる人が変わっても生き残っていけるほど完成度が高い(それぞれの俳優で評価が分かれるのは、個人的な趣味があるからしかたないにしても)。
 
じゃあこの『キングスマン』がどんな見どころがあるのかというと、個人的には英国のユーモアだと思う。
 
階級社会に生きることを余儀なくされ(生まれた時から持てる者と持たざる者とに分断された社会)るイギリス人は、それぞれのサイドから描いた映画がいくつも作られているけれど、キングスマンに出てくる諜報機関を構成するメンバーは、持てる者(貴族階級)のほうにカテゴライズされている。強烈な選民意識を持ち、プライドが高く、他人にも厳しいが、自分にも厳しい。「自分は選ばれた者」という意識がある分、その特権を得る者の義務として、その分の責務(Do good)を果たすべきというのがNoblesse Obligeだ。
 
自分を律する術として、イギリス人が好むのがユーモアだ。うろ覚えだが、イギリス人のユーモアを端的に表した小話でこんなものがある。
 
あるイギリスの大学教授が、共にサイクリングを楽しんだ愛弟子の、先の世界大戦での戦死の報を受けたとき、驚くでもなく、嘆き悲しむでもなく、淡々と「これで、イギリスに余計な自転車がひとつ増えた」と言ったという。
 
ユーモアは現在では「笑い」と結び付けられて全体認識されていることがほとんどなので、「これ、笑えないけど」と思う人も多いかもしれないが、元来のユーモアは(説明が長くなるので割愛するが)「感情の動き」という意味をもつ言葉である。イギリス人のユーモアとは自衛手段として使われている感情の動きで、時に感情的になりそうな自分を律して、客観的に自分を俯瞰して眺めることで逆上しそうになる自分を抑えるための手段なのだ。
 
事実、この映画の中にもコリン・ファース扮する主役のハリーが「I've had a rather emotional day」と言いながら、非常にスタイリッシュに街のチンピラに制裁を下すシーンがあるが、イギリス人(の貴族階級)は、取り乱し、感情をあらわにすることを非常に嫌う。どんな状況でも冷静沈着で、常に理性的であることを美と思っている人種なので、感情が揺り動かされたとしても、それを表に出すのはカッコ悪いと思っているのだ。
 
ある意味、自分から自分を突き放して、「そんなことで動揺してどうする」と叱咤激励するためのツールがユーモアなのだと言える。
 
でも、そんなクールさを信条とする英国紳士のハリーが、詳細は観てからのお楽しみということで伏せるが、一回だけ他人にコントロールされてものすごい表情を見せるシーンがある。↓
 

f:id:snowflakesonnose:20150927134721j:plain

英国紳士もビックリ

 
多分、彼の一生の恥になるんだろうなと思う。そんなところも分かったうえであえて役柄のカッコ悪いシーンも入れる作り手の客観性が、たまらなくカッコ良いなあと思う映画だった。
 
 『マイ・フェア・レディ』でも描かれた二つの階級のあいだの超えざる壁と、庶民階級から特権階級へのステップアップ、イギリス紳士の独特のメンタリティ、それに加えてサミュエル・L・ジャクソンが好演したアメリカの頭悪そうなIT長者に象徴される戯画化されたアメリカ人への痛烈な風刺、それらがエンターテイメントとして楽しめる作品だなと思った。