自己肯定感が低い私が部屋の掃除を決意した話

すごーく久しぶりに書きます。

 

今日、ヨガに行ってきました。大好きな先生のレッスンはなかなか予定が合わず、月一くらいでしか行けないんだけどやめるつもりはないです。

 

レッスンの合間に、先生はいつもヨガに絡めて勉強になる話をしてくれます。呼吸が精神にもたらす効果、筋肉をうまく使うと体にどういう変化が起きるか、など。

 

今日のお話で、今の私のお腹にすとんと落ちてきたのは「自分を大切にする」こと。自分はこの世に一人しかいなくて、自分のことを最も理解してあげられるのは自分。この世にひとつしかない自分の命を、自分が大切に思わなくて誰が大切にしてくれるのか。

 

自分をたったひとつの宝物だと思って、優しく愛おしんであげてください。

 

その話が何となく自分の中心にじわじわ沁みて、何でだろうなあと思っていました。

 

変わって、さっき夜に銭湯に行きました。私は銭湯大好きです。知らない人と会話が弾むこともあるし、公共の場なのに全裸っていう一見矛盾してる様子がユーモラスで面白いし、何よりあったかくて気持ちいいから。

 

いつも朝シャワーを浴びるのに今日は時間がなくて浴びられなくて一日中ずっと気持ち悪い気がしていました。ヨガで汗もかいたし。銭湯でヨガの先生の話を思い出しながら、なんとなくいつもより丁寧に身体を洗っていたら、突然、あ、そういうことか!と理解できた気がしました。

 

自分が気持ち悪いと思ったら、心地よくしてあげる。例えば身体が汚れたらきれいにしてあげる。疲れたなと思ったら、身体を休めてあげる。嫌だなと思うことがあったら、その原因を取り除いてあげる。

 

書いてみると当たり前に思えるけれど、自分じゃない何かを優先させてしまうことってよくあります。

 

小さいところで言うと、お手洗いに行くのを我慢してキリのいいところまで会社でパソコンにかじりついていたり、頭痛がするのに我慢して出勤したり、気が進まないお誘いを断れずに参加したり。それって、自分以外の物や事を優先しているなあと思いました。自分が自分をおろそかにしたら、誰も私のことを面倒みてくれないから、この世で私の味方は一人もいなくなってしまう。

 

多分、私は自己肯定感が低いほうの人間なので、ついつい自分のことを後回しにしてしまいがちだと自分のことを理解しています。自己肯定感が低い人間が例えば身体が汚いと思っても、「どうせ私なんて、きれいにしたってたかが知れてる」と考えてしまいがち。例が極端すぎるか…自分以外の物や人に、より高い価値を感じているから、自分のことは投げやりになってしまう傾向があるみたいです。

 

自分を大切にするって、きちんと自分の面倒をみてあげることなんだな。そっか、自分のことを自分の子供だと思ったら、優先させてあげられる気がする。

 

わがままと自分を大切にしてあげることの境界線がまだあんまりよくわからないけど、とにかく自分を心地よくするために、自分の面倒は自分でみよう、と思いました。

 

というわけで、自分が心地よくあるために明日お部屋をきれいにしよう、と荒れ放題荒れた汚部屋を見ながら思いました。

 

よくスピリチュアル系の本で「部屋を掃除すると運気が上がる」って書いてあるけど、あれは自分が心地よくいられるからなんじゃないかなって気がしてきた。散らかった部屋にいると、荒んだ自暴自棄な気分になるもんね。誤った方向のハードボイルド。

 

掃除するぞ!