今日観た映画『ベイマックス』

ベイマックス、ようやく観てきました。
(個人的感想のところに他の映画も含めてネタバレあり)

この映画を一言でいうと

安定のディズニー・クオリティ!観る人を選ばない、全方位型のヒーロー・アニメ。

こんな人におすすめ

言葉がある程度理解できるなら、誰でも。
強いて言うなら、「ディズニーって何か子供っぽくて(もしくは別の理由でも)、イマイチ食指動かないんだよねー」って人は、特にポリシーを曲げてまで観る必要もないと思うけど、それ以外の人は全て楽しめると思います。
サンフランシスコと東京が混じったような、「サンフランソーキョー」という架空の都市が舞台となっていて、日本語の看板があちこちに出てくる様は、明るいトーンの『ブレードランナー』みたいだから、『ブレードランナー』コアファンの人は、観たらご機嫌を損ねるかもしれない。あるいは、ご機嫌になるかもしれない。

個人的感想

「最近の子供は、死んだ虫を前にして、親に『この虫のリセットボタンどこにあるの〜』と聞く子がいるらしい」と、友達から聞いたことがある。

その話もまた極端だなと思うけど、この映画を観て思ったのは「あれ?何かもしかして、生命に対する考え方が、私の考えてる常識から変わり始めてる?」ってこと。

ベイマックスは、クライマックスシーンでヒロを助けるために時空の歪みの彼方に消えていくが、最後に蘇る。ヒロを救ったロケットパンチの中に、自分の全データを保存したUSBメモリを隠しておいたので、そのデータを使ってヒロがまた新たにベイマックスの身体を作り、そこにデータを移植したからだ。

このシーンを観てまず思い出したのは、『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』に出てきた木のキャラクター、全編通じて「私はグルート」しかセリフがない、グルートだ。(偶然、これもディズニー配給だ)

グルートも、やっぱりクライマックスシーンで命を落とす。でも、僅かに残った身体(木?)の一部によって、生命はつながり、新しく育ち始めた若木の姿を見せて本編は終了する。

もちろん、グルートは本当に生きていて、ベイマックスは生命体ではなく、ロボットだ。でも、本編を観ている限り、ベイマックスがロボットであることを示すのは、ヒロの兄が開発したことを視聴者の我々がストーリーから読み取っているからだ。

私の少ない知識を総動員する限り、生命の発生については根本的なところがわかっていない(解明されているのかな?もしご存知だったら教えてください)。

例えばの話だけど、もし、今地球上にあるおびただしい生命も、一番最初は人間よりもはるかに発達した(例えば『インターステラー』に出てきたような高次元の)何かによって緻密に設計され、再生産する機能を与えられ、進化していくようなプログラミングを埋め込まれて発生したものだとしたら、どうだろう?(調べてみたら、やはり生命の起源は何か一つの理論によって証明されてはいないようだ。生命の起源 - Wikipedia地球の外に生命の起源があったとする説をパンスペルミア説 - Wikipediaというらしい。)

本編では描かれていない、ベイマックスの未来も、もしかしてヒロやヒロに続くエンジニアたちによってバージョンアップされ、どんな存在に進化していくのかは、未知数だ。

人間や他の生命体に存在して、ロボットにはないとされるものとして一般的に言われているのは生存本能、心とそして、感情だ。この感情や心が、将来的に科学の進歩によって根本的に解明され、それをロボットに埋め込むことが可能になるとしたら、ロボットと生命体の違いは何になるんだろう?

と、思っていたら、予告編群の中に今年の6月に公開されるピクサー最新作『インサイド・ヘッド』があった。生物のの持つ幾つかの感情、情動を擬人化し、文字どおり、頭の中で何がどうなっているのかをアニメで表現する、らしい。ものすごい偶然!

私は完全に文系の人間なので、勿論専門知識もないし、それを追求できる頭脳も本当に、本当に残念ながら持ち合わせていない。

でも、唯一無二の肉体に唯一無二の生命が入っていて、肉体も生命も限りある、そして再生不可能なもの、だから何を差し置いても両方大事にしないとダメ!という、私が考えてきた前提というか常識が、少し変わってきているのかも、という考えは変わらない。

そう書くと「生命を軽々しく捉えている」とか思われそうなのだけど、微妙にそういう話ではない。もちろん生命は大切だし、貴重だし、消耗品ではないことは確かなんだけど、昔からSF作品で数多く描かれているように、そしてベイマックスやグルートで描かれたように、生命と肉体を切り離し、生命を別の肉体に入れ替えることが、例えば可能だとしたら、それってユリイカどころの騒ぎじゃないよね?と思ってゾワゾワした、ということを言いたかったのです。あの、例えばの話ですよ。

私が子供の頃、電話回線は固定だったはずなのに、いつの間にか固定電話は持たずに携帯電話だけで事足りるようになっていた。音声通信だけだったのに、通信でやりとりできるものが圧倒的に増え、今やウェラブルが視野に入っている状態だ。子供の頃の私に、「あなたが大人になった頃、電話はテレビ電話になって、しかも身体に装着できるようになってるよ」と言っても、信じなかっただろうと思う。

いま、将来に何が起きるかなんて有識者でもない私には殆ど分からない。だからこそ、ありとあらゆる可能性がゼロではないと信じることができるし、それによって人生がワクワクするものになるし、生きることが楽しくなるのかもなぁ、と思った。(最後の結論がやや投げやりなのは、眠いからです。すみません)

ディズニー作品はいつも夢と愛でいっぱいだけど、『ベイマックス』はそれに加えて脳みそがワクワクする部分も刺激してくれる映画だったな。

トリビア

ベイマックスの顔の形は、日本に来て資料撮影をした映画制作スタッフが撮った写真の中にあった、神社の鈴をモチーフにして作られたそうな。どっちかというとフォルムは木魚っぽいけど、納得!

f:id:snowflakesonnose:20150129003308j:plain