こないだ観た映画『しあわせへの回り道』

砂に水がしみこんでいく様子を観察したことがあるだろうか?海辺でもなんでもいいんだけど、砂地に水がしみこんでいくときって、最初水たまりだったのに、水たまりがどんどん小さくなって、最後に消えてしまう。真夏日なんかだと、表面はすぐに乾いてしまう。だけど、掘るとまたじんわり水はしみ出してくる。

 
『しあわせへの回り道』はそんな映画だった。

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この映画を一言でいうと

長年連れ添った夫と、青天の霹靂の夫の浮気告白により離婚することになったニューヨークに住む人気書評家の女性が、行動範囲を広げようと自動車免許を取るべくインド系アメリカ人に運転を習い始め、運転技術とともに無意識のうちに人生の操縦術も学んでいく話。
 

こんな人におすすめ

100%ほのぼのハートウォーミングな映画ではなく、ちょっとほろ苦いリアリティのある、「生きること」を映画で観たい人。
 

個人的感想

何かを始めるのに遅すぎることはない、やってみなはれ、とは職場の先輩の名言だ(誰かからの受け売りかもしれないけど、私は関西弁が誰よりも濃いその先輩から聞いて、砂浜に水がしみこむようにその言葉が腹に落ちた)。
 
成功する人は脳みそにストッパーがないという。もちろん、脳みそにストッパーがない人が全員成功するわけではないけど、成功する人は往々にして「私はもう年だし」「こんなこと始めても何にもならないかも」と頭の中でストッパーを作動させずに、「よしやってみよう」とすぐに思える人なんだそうだ。
 
この映画の主人公は、「私なんて」「うまくいかないかもしれない」「失敗したらどうしよう」と、ストッパーをかけまくる女性。観ているこっちがちょっとイラつくくらい、あーでもないこーでもないとやらない言い訳を考えている。
 
でも、そんな彼女がだんだん愛おしくなってくるのを感じた。その姿は、普段の自分の姿そのままだし、考えている内容は普段の自分が考えていることにそっくりだからだ。
 
ちょうど「これをやりたいけど、これのせいで出来ない」とうまくいかない人生を自分以外のせいにして、やらない理由だけを考えるのがうまくなっていく自分に嫌気がさしてきたところだった。
 
車の運転で言えば、「地震が起きて目の前の道路が割れて割れ目に落っこちてしまうかもしれないから運転できません」とエンジンをかけないでいるような自分に、この映画の主人公はとってもみっともなく、そして愛おしく思えた。
 
そんな彼女にあくまで理性的に、論理的に寄り添い、根気強く運転を教えるタクシー運転手とドライブレッスンの先生を掛け持ちするインド系の男性を、『ガンジー』のベン・キングスレーが演じている。シーク教徒のため、ターバンを着用しており、そのせいで街中とかで突然いわれのない差別(そもそも差別にいわれなんてないのだけど)を受けることもしばしばだけど、あくまで理知的にやり過ごす術を身につけているのが少しもの悲しい。
 

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自分の伝統と文化と宗教に誇りを持ち、毎日をつつましく生きる彼が、親戚の勧めで会ったこともない女性をインドからお嫁さんとして迎え、共同生活を始めるが、知らない人同士ゆえに様々なギクシャクが生じて戸惑う描写も興味深い。同じ人種なのに、住む環境が違ってきたがゆえに分かり合えないこともあるけど、それを乗り越えて理解し合おうと努力する姿がいじらしい。
 
まるっとハッピーエンドで終わらず、「人生というドライブは、それぞれの人にまだまだ残されている」という含みを残して終わるところも、余韻を楽しみながらエンドクレジットを追える良い点だった。
 
砂に水がしみこむように、徐々に自分の中に余韻が蓄えられていって、気づくと映画が自分の中で栄養になっている。そんな映画だった。