何度でも
数年前に亡くなった祖母は、晩年は認知症だった。何故か、別に好きでもないチクワを買わなければいけない!と思ったタイミングで記憶が止まってしまったらしく、スーパーで買い物をするときには常にチクワを買ってきていたので、冷蔵庫はチクワだらけだった。炊飯機の使い方が分からなくなったと言って、隣のおうちに泣きながら助けを求めに行ったこともあったそうだ。
聞いたこともハタからわすれてしまっていた。私が長野にスノーボードに行ったとき、お土産で買っていった蕎麦の実ふりかけを、毎日食べるたびに感激して「これ、おいしいね~。どこで買ってきたの?え?お土産?誰の?」という会話を毎朝叔母と交わしていたそうだ。
ドリュー・バリモアの映画で、前日の記憶を留めておけない女性の話があった。毎朝、自分の夫と初対面から始めて、恋に落ちて結婚する。寝たら全部忘れてしまう。私は祖母のことを新宿のドリュー・バリモアと呼んでいた。
そんな祖母の孫である私は、いま着付けを習っている。
今は振袖の帯結びの特訓中で、いろんな結び方を行くたびに習うのだけど、習ったそばから忘れてしまうから、次のお稽古のときにはもうなんにも覚えていない。イチからである。毎回新鮮な気持ちで同じことを習っている。
炊飯機の使い方がわからなくなって泣いちゃったおばあちゃんの気持ちは、まだ分からないけれど、いつか本当に身について、何も先生に聞かなくても、自分でスラスラ着付けられるようになるんだろうかと時々不安になる。
不安になるけど、やっぱり、着物は美しいなと思う。洋服とは違って、平面的に裁たれた布が、着付け師によって立体的な人間の身体に巻きつけられ、女性の曲線をえがく身体を優しく寄り添いながら美しく装っていくさまは、何回見ても飽きない。ただただうっとりする。
平面から立体へ。直線から曲線へ。洋服では考えられない色と柄の組み合わせがしっくりと馴染む不思議。
たとえ、何度習っても、一生身につかなかったとしても、祖母のように毎日同じことを繰り返すようになっても、きっと着物を触ることはやめないだろうなと思う。