今日観た映画『バードマン あるいは無知がもたらす予期せぬ奇跡』

『バベル』『BIUTIFUL』ですっかりオスカーの常連となった感のある、アレハンドロ・G・イニャリトゥ監督の最新作。本作も、アカデミー賞で4部門を受賞し、話題をさらった。私は先に『アメリカン・スナイパー』を観ていて、とても感銘を受けていたので、バードマンが何故、クリス・カイルを上回ったのかが個人的に興味があった。

全然関係ないけど、イニャリトゥ。声に出して読みたい名前度合いは『それでも夜は明ける』の主演、キウェテル・イジョホーと並ぶな。

この作品を一言でいうと


かつてハリウッド大作で世界的有名人となった俳優が落ち目になり、起死回生を狙ってブロードウェイでレイモンド・チャンドラーの短編をベースにした芝居を手がける。彼はかねてより自分の強烈なエゴによる幻覚、幻聴に悩まされており、劇中、かつて自分が演じた漆黒のバードマンの囁きに悩まされる。果たして芝居は幕を開け、成功を収め、彼は再び栄光のスポットライトを浴びられるのか。


こんな人におすすめ


バットマンを模したバードマンや、バットマンを実際に演じたマイケル・キートンが落ち目の俳優を演じるなど、風刺がきいたブラックコメディなので、映画を見飽きた通の人は楽しめるかもしれない。

作品はほぼワンカットで撮影されたかのようなカメラワーク。『つぐない』の戦争シーンはワンカットで撮影されていて息を呑んだが、本作はほぼ全体の2/3がワンカットになっていて、映画通にはおっ?と思わせるつくりになっている。

ちなみに作品の終盤クライマックスで、ずっと続いていたワンカットが突然ぶちっと切られ、カットを重ねていく。多分ここのポイント以前と以後で作品世界がガラリと変わっているんだろうと思うけど、私にはまだ解釈できなかった。詳しい人に是非見解を聞かせてもらいたい。

個人的感想


『アメリカン・スナイパー』ではなく、何故『バードマン』なのか?という疑問を前述したが、実際に観て納得した。アカデミー賞会員の自我を刺激する作りになっているからだと思った。

『アメリカン・スナイパー』は生死の狭間の、ピアノ線並みに細いラインの上で殺すか殺されるかの葛藤の末に精神のバランスを危うくする男を描き、国家とは何か、戦争とそれに翻弄される人間の尊厳とは何かを描いた作品だった。

一方『バードマン』は、舞台が非常に狭く、ほぼ主役の周りに限られ、テーマはかつて社会的に成功し自己実現を遂げた男の凋落に伴う悲哀と絶望を描いている。

マズローの五段階欲求に沿って言えば、『バードマン』で描かれるテーマの方が、自己承認欲求で4段階目なので、2段階目の安全の欲求と3段階目の所属と愛の欲求を中心に描いた『アメリカン・スナイパー』よりも欲求段階のレベルが上である。

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マズローは、人間の基本的欲求を低次から述べると、以下の通りである。

  1. 生理的欲求(Physiological needs)
  2. 安全の欲求(Safety needs)
  3. 所属と愛の欲求(Social needs / Love and belonging)
  4. 承認(尊重)の欲求(Esteem)
  5. 自己実現の欲求(Self-actualization)


知的にレベルが高い(とされている)アカデミー賞会員は、面子にかけてもバードマンを選ぶだろうな、と思った。

私はアカデミー賞に詳しくないので、いったいどういうものさしで作品を選んでいるのか詳しくは知らない。でも、例えば映画を料理に例えて考えると分かりやすいと思う。

世界中の美味しい料理から世界一の料理を選ぶ賞レースがあったとして、世界中のシェフが腕を競っているとする。

ここに出品されたのが、何でもないありふれた食材(安全の欲求)だけど、余すところなく素材の味を活かした骨太の料理と、ありとあらゆる料理界の通をうならせる技巧をこらして完璧なバランスで組み立てられたフランス料理だったら、きっと料理界の重鎮は後者を選ぶんじゃないかな。その制作の過程に敬意を表して。

ちなみに私個人は、繊細なフレンチよりも、ワイルドで素朴な料理の方が好みらしく、『アメリカン・スナイパー』の方が作品として好きだ。

一緒に観に行った人が、「映画の好き嫌いは人それぞれだから」と言っていたけど、確かにそうだな、と思う。オスカーを取れなかった作品も、オスカーにノミネートすらされなかった作品も、一人でも良いと思う人がいる限りこの世に必要とされているし、もっと言うなら製作陣が「作ろう」とゴーサインを出した段階でこの世に必要とされた作品なんだろうと思う。

この世は無数のものさしが乱立していて、時として大きく目立つものさしの言うことに流されそうになるけど、改めて自分の目で見て自分の頭で考えて、良いと思ったものを信じようと思った。