読んだ本「消費をやめる 銭湯経済のすすめ」

銭湯が好きなので、「銭湯」をキーワードに検索してヒットした本を図書館で片っ端から借りて読んでいる。


「消費」をやめる 銭湯経済のすすめ (シリーズ22世紀を生きる)

「消費」をやめる 銭湯経済のすすめ (シリーズ22世紀を生きる)


その中で出会った本がこの本だ。

結論から言うと本のテーマは殆ど銭湯は関係なかった。一言でいうと、この本のテーマは「企業の命題として会社で働く人は全て意識させられる利益増と右肩上がりの成長が続けられなくなった時代(=低成長時代)に、経済はどのようにして回していくのが良いのか」だ。

筆者の持論は、
  • かつての日本は、仕事を分業したり、営業範囲を例えば銭湯のように町内だけに区切ったりして(敢えてそうしていたわけでなく、それが実現可能な限界だったから)、いわゆる「小商い」で家族が食べていける分だけ稼ぐ形態が浸透していた。
  • 終戦してから破竹の勢いで経済成長を遂げ、その後もグローバル化が日本を席巻し、日本の消費者は近所の商店街で世間話を交わしながら買い物をする「近所の顔の見える消費者」から、コンビニや大型スーパーで、お金を唯一の交換手段として、客は殆ど声を発しない「アノニマスな消費者」へ変貌
  • 経済成長を命題とした結果、市場創造のために、世帯から個人へ、ターゲットを細分化し、「消費行動」も細分化することにより、売り上げをのばしてきた大企業(テレビが良い例)
  • 一方、例えばアメリカではウォルマートなどに代表される巨大小売業は、次々に大型店舗を出店し、出店した先の商店街をシャッター商店街に変え、地場の製造業にもダメージを与える(全国規模の大量の仕入れを武器に商品を買い叩き、なおかつPB商品を作らせてメーカー品の隣に安く置き、ナショナルブランド商品が売れなくなる)
  • 今までのように永遠に右肩上がりの経済成長が見込めるわけでもない時代に突入した現在、考え直さなければいけないのは日本人の消費行動。
断捨離がブームになったりしているのは、今までの日本で当たり前になっていた「消費 is beautiful」という前提条件に人々が無意識のうちに限界を感じ始めたからなんだなぁと納得した。

私自身も、会社に雇われている一介の社員で、人事面談のたびに上司から成長すれば給料が上がるから頑張れ的なことを言われ続けることにずっと疑問を抱いてきた。

もちろん、お給料いっぱいもらえることが働く唯一最大のモチベーションになる人もいるだろうしそれは全然アリだと思うけど、私にとってはお金がいっぱいもらえるってことが第一の優先事項にはならないなあと思ってて、面談のたびにお給料の話しかしない上司に違和感を感じてきた。

でも、そのモヤモヤをうまく言語化することが出来なかったけど、この本を読んで、とても腑に落ちた。消費至上主義の、おカネが唯一の価値基準になっていることに、違和感を感じていたんだなあと思った。

おカネは生きていけるだけ稼げればいい。独身だし、子供もいないし、身軽だし。どんどん頑張って、どんどん出世して、どんどん昇級して、という上司の言葉に素直に頷けないのは、歳のせいかなそれともじぶんのひねくれた性格のせいかなと思っていたけど、私の生きてる世界の前提条件自体に違和感を感じていたのが分かったので、これから生きていくにあたり、舵をとるための道しるべを見つけやすくなったと思う。