昨日観た映画『ゴーン・ガール』

(ちょっとだけネタバレあります)

デビッド・フィンチャーの最新作。さらっと観られてしまうけど、後で「あの時のあの表情は、実は…」とか思い出すと背筋がザワザワしてくる、思い出し系サイコスリラー。実はフィンチャーの映画を観るのは『ソーシャル・ネットワーク』が初めてでこれは2本目。『セブン』はTVでやってるのをチラチラ程度だし、『ファイトクラブ』『ゾディアック』も観ていない。

本作は5年目の結婚記念日を迎えた夫婦の、妻の方が突然失踪してしまうところから始まる。警察の捜査も始まりマスコミでの情報提供の呼びかけもされ、ごく一般的な幸せな夫婦が突然メディアにクローズアップされ、少しずつ、ありふれた夫妻の仮面が一枚ずつ、剥がされていく。

個人的な覚書として、私は未知のものを恐れるメタファーとして「扉を開ける」という行動を異様に恐れているということが今回わかった。劇中に何回か、登場人物がちょっとためらってから心を決めていろんな扉を開ける(小屋の扉だったり、プレゼントの箱を開けるだったり、焼却炉の扉を開けるだったり)シーンが出てくるが、どれもちびりそうなほど怖かった。考えてみれば私はディズニーランドのホーンテッドマンションが、入れるお化け屋敷のギリギリで、あのアトラクションのなかで一番怖いのは何かというと、前半、ゴンドラに乗って運ばれていく途中で長い回廊を通過するとき、左右にたくさんのドアが並んでいて、通過するときにドアノブが勝手にガチャガチャ動くところだ。映画もホーンテッドマンションも、なにかとてつもなく恐ろしいものが向こう側から飛び出てくるのをあれこれ想像して、自分で自分を怖がらせているんだな、と分かった。これからはなるべく無の心で映画を観るようにすれば、ホラー映画も苦手じゃなくなるかもしれないと思った。

さて、感想。

私は結婚したことがないので、これは是非既婚者の感想を聞いてみたい。もちろん映画の中では戯画化して大げさに描かれているのは理解するが、多かれ少なかれ自分の配偶者から殺意の恐怖を感じたり、相手を殺したいと思ったりすることってあるのだろうか?それとも極端な「お話」レベルのできごとなのだろうか?

今まで身近な誰かに殺されるかも、と思ったり、身近な誰かを殺したいと思ったことが全くないので、興味をそそられる。同時に、もしそうだとしたら結婚て怖いなと思う。

私の知る限り結婚は、雇用契約みたいに公的なコミットメントが発生し、なおかつ多くの場合好きという感情も伴う稀有な人間関係のひとつだと認識している。雇用契約解消ももめることをしばしば耳にするのに、それに感情が伴うとそりゃあ、ぐちゃぐちゃするよなぁ。(完全にひとごと)

自分の中で、そういうぐちゃぐちゃを体験してみたい!とはあまり思わないけど、それでも世の中で結婚という契約形態がマジョリティであるということは、やっぱりぐちゃぐちゃを凌いで余りある幸せが、結婚という人間関係には存在するという証明なんだろうな。(やはりひとごとな言い方)

世の中の全ての夫婦が幸せでありますように。(あと、ついでに私も幸せになりますように。)