初秋と柴犬の関係

夏の狂おしいほどの暑さが大雨と共に消えて、太陽の日差しが溢れても、肌を刺すようなプレッシャーはなくなった。太陽が遠くなったんだなと思う。

秋である。

涼しくなると、いつも10月5日に亡くなった犬のことを思い出す。

柴犬のタロは実家の老犬だった。私が小学4年生の時に我が家にやってきた。鼻の先が真っ黒な子で、オスで、筋金入りのバカだった。バカという言葉を生き物にしたらタロになるだろうというくらいバカだった(その思いは次の次に我が家にやってきた柴犬によって覆されることになるが、それはまた別の話だ)。


買ってきて玄関に一旦置いた焼き鳥を、一瞬の隙に袋から漁って串ごと食べてしまう。あの時は、串が胃に刺さったらとだいぶ肝を冷やしたが、タロの野性味あふれる強靭な胃袋と、竹をも溶かす強力な胃酸により、ことなきをえた。

散歩中にうっかりリードを離すと、あっという間に逃げて行く。追いかけても追いかけても捕まえられず、捕まえられない距離まで走ってからこっちを振り返って様子を伺う表情が憎たらしい。

散歩に連れてった際にまた逃げ出したので、母がもういい!と置いて帰ってきたら、どこかで車にひかれたらしく、血だらけになって帰ってきた。あの時は怖かっただろうと思う。ごめんね、ごめんね、と泣きながら母親が病院に連れて行くタロの顔はいつもより怯えていた。幸い大した怪我ではなく、骨も折れてなかった。

一度、家の前の塀に繋いで日向ぼっこをさせていたら、家の前は私道のため、殆ど車が入ってきたりしないのに、たまたま何処かのお宅に工事かなんかのために軽トラがバックでゆっくり入ってきた。

タロは私道の端っこにだらしなく脚を投げ出してぐっすり寝ていて、運転手に気づかれないまま、近づいてきた軽トラにも起きることなく、バックでゆっくり投げ出していた後ろ脚をひかれたらしい。

ギャンギャンギャンギャン!というただならぬタロの声にたまげ、すわ何事かと泡を食って玄関のドアをバンと開けたら、外からタロが飛び込んできて、玄関のたたきで無表情のまま、ジャーっとおもらしをした。この時も、脚は折れなかった。アイアンマンか。

私の父の転勤でタロを飼えなくなって、親戚に預かってもらったこともあった。三年間離れていたから、もう忘れてるかなあ、あいつバカだしなあ、と言いながら家族で車で迎えに行ったとき、匂いも分からないだろう、100mくらい離れたところから私の家族の車を見つけて、弾丸ダッシュしてきた。すごい速さで近づいてくるタロの顔は一生忘れない。犬って笑うんだな、ということをタロが教えてくれた。

私が、片思いしてる同級生に告白するしないとか、友達と喧嘩したとか、今思えば青い理由で落ち込んで泣いている時、玄関のたたきで寝起きしていたタロは、いつも私に寄り添って涙をなめてくれた。完全に私のことを格下とみなしてはいたが、子分が悲しんでいるのは無視できなかったみたいだ。

ある日「タロも老いぼれてきたねえ」と母が言って、ふとタロをよく見たら、散歩に行ってもあまり歩かないし、ごはんもあまり食べなくなっていた。もう年だからねえ。そういえば、散歩の時にリードも引っ張らなくなってきたよ。

そんなことを家族で言い合っていた、10月の朝、タロはたたきに横たわったまま冷たくなっていた。最後までタロらしいというか、何というか、大量に大便をもらした状態だった。母は泣きながらタロを拭いてやり、掃除してやり、もう息をしていないタロの身体を抱きながら、うずくまって泣いた。

私もその朝泣きながら出勤したが、駅までの道のりで金木犀の匂いがあちこちに漂っていて、それを少し、恨めしく思った。

私がこんなに悲しくても、吐くほど泣いても、朝は来るし、金木犀は咲くし、会社は始まるし、世界は何もなかったみたいに動いて行くんだな。

今なら、その変わらなさがありがたいものなんだと理解できるけど、身近な命がなくなったのを体験したのはそれが初めてだったので、私がこんなに悲しいのに何故空は雨を降らせないんだろう、と究極にナイーブなことを考えたりした。

タロは電車で5個くらい離れた駅にある動物霊園に埋葬された。母親はしばらく何も手につかず、泣きながら毎日霊園に通い続けた。それ以外は何も家事ができなくなり、ずっと布団に寝ていた。

典型的なペットロスになった母親を見兼ねて、なのか、家事が一切まわされなくなったことを危惧してなのかは不明だが、父親は間もなく柴犬の女の子を連れて帰ってきた。

小さな箱に入れられて我が家にやってきた、片手の手のひらにおさまるサイズの愛らしい柴犬を見た時の母のデレデレぶりには、目を見張るものがあった。即座に母によりモモと命名され、ありとあらゆるお世話のための道具が用意され、母はそれから一回たりともタロの眠る動物霊園には行っていない。父親は、母のことを本当に理解しているんだなーと感心した瞬間だった。

その柴犬の女の子も、16歳で亡くなった。ペットの天国と言われる虹の橋で、タロとモモが仲良く遊んでくれていればいいなあ。出来れば私も、そこにいつか行って、一緒に遊べるといいなあと思う。