何であの人は私をイライラさせるのか?を解消する方法

人生ある程度長く生きていれば、思う通りに行かなくてイライラすることが誰にでもある。

どうして私の上司は、私の主張を聞き流すんだろう。上司なのに。

どうしてあの後輩はきちんと仕事が出来ないんだろう。私があの子の年齢の時はもっとちゃんとしてたのに。

どうして道路に広がって周りを見ずに歩くんだろう。ちょっと周りに気を配れば、後ろが渋滞してることはすぐ気づけるのに。

どうしてあそこの奥さんは人が嫌がることをわざわざ一言付け加えるんだろう。自分がされたら嫌なことって、ちょっと考えたらわからないものかしら。

人はこういうイライラを抱えて生きていく。

これらは全て、基準を自分に置いているからイライラが発生する。

私だったらこうするのに、何故この人は、という考え方は、相手の良くないと思う点を考える上で悪いやり方だ。

自分と人とを比べてはいけない。比べるとしたら、今の自分と過去の自分だ、とはよく言われることだが、この場合も自分基準に人を当てはめてはいけない。

何故なら、あなたとその人は、違う人間だからだ。「あなただったらこうするのに」と思うけど、相手はあなた自身ではない。

自分の価値基準に人を当てはめようとして苛立つのは、小鳥がアヒルに向かって、同じ鳥類なのに、お前はなぜ空を飛ばないんだと言っているのに似ている。

そういう時、どうすれば苛立たずに済むか?

例えば自分は料理をしていると思えば良い。食べるものを作るという目的の元に、障害を解消するために与えられた環境下で、自分は何ができるかをひたすら考えて実行すれば良い。

例えば包丁が切れなくなっていたら、切れない包丁に苛立つ間に研げばよい。材料がいたんでいたら、いたんでいる部分を取り除くか、飾り切りなどにして食べないけど料理に活かす工夫をすれば良い。小皿が足りなかったら大皿料理に切り替えれば良い。醤油が足りなかったら味付けを変更してもいいかもしれない。

視野が狭くなって、「美味しいご飯を食べる」という大きな目的よりも前に、「醤油を使う」「小皿で食べる」が自分の目的になっていないか考えてみてもいいかもしれない。

「上司に分かってもらいたいのに聞いてくれない、からイライラする」「部下の成長が足りない、からイライラする」「周りの人の配慮が足りない、からイライラする」に注目してしまうと、それの解消が大目的になってしまう。

あなたは何をしたいのか?イライラさせる対象をとっちめて、相手に劣等感や敗北感を味あわせ、優越感に浸ることが目的なのか。イライラせずに気分良く生きることが目的なのか。イライラした時は一回深呼吸して、自分は何をしたいのかを考えてみよう。

(と、自分に言い聞かせています)