空気読むか、空気読まないかの話

空気を読む。

その場に漂うなんとなくの全体的なコンセンサスを言外から感じ取り、それに応じた言動を取ること。

KY。

空気読まない、の略。

このふたつの境界線の上で、自分のスタンスを決めかねて、一歩踏み出したりまた後退したり、プロ野球珍プレー好プレーのリプレイ動画(古い)みたいなことになったことが、日本人ならば誰しもあるに違いない。

より正確に定義するならば、

  1. 言外から全体的なコンセンサスを読み取ってそれに沿った言動を取る 
  2. コンセンサスは読み取れるけど、敢えてそれに沿った言動を取らない意識的なKY 
  3. コンセンサス自体を読み取れないKY
の3種類が存在する。

私個人としては、コンセンサスは何となく読み取れる方だと自負している。しかしながら、読み取りつつも自分の意思とそぐわない場合、往々にしてストレスを感じながら全体の総意(と感じ取っているもの)に合わせてしまう傾向がある。The 典型的日本人気質である。

この沈黙のうちに溜まって行くストレスというのが厄介で、思わぬところでこれが噴出して、思ってもみなかった方向に事態が進むこともあり、注意が必要。

「自分が心地よくあることの追求」と「輪を乱さないことへの努力」の間で、心は千々に乱れるが、限りある人生を生きている限り、「自分が心地よくあることの追求」が、人生における最大命題であると考えられるので、もし二者間に齟齬が生じた場合にはケースバイケースではあるが、自分優先で考えるのが正解なんだろうな、と思う。

逆もまた真なり、で、日本において日本人が多数を占める社会で生きている限りは、相手も同じジレンマを抱いて生きているだろうことが予想されるので、そこは含んだうえで行動するのが理想だろうと思う。

一言でいえば、「自分が当然こう思うということを、必ずしも相手は当然と思わない」という前提に立って、緻密なコミュニケーションが必要ということだ。私が「これが普通」と思う基準は、人にとっての非常識だったりもする。

当たり前のことだけど、なかなか難しいですな。