Facebookで不幸せにならない方法

Facebookの人気が陰りを見せ始めているときいた。日本人特有のSNS疲れがユーザー離れを起こしているんだって。

「BBQ楽しい!風が気持ちいいなー(イメージです)」とか、「彼氏とショッピング!コーチのバッグ買ってもらっちゃった♪この後恵比寿の隠れ家イタリアンでディナーです(イメージです)」とか、「家族で農業体験しに千葉県へ。初めての田植えに、子供たちも泥だらけの笑顔で大はしゃぎ!(しつこいですが、イメージです)」とか、自分の友達が投稿している「充実した毎日送ってます!」という、いわゆる「リア充アピール」をシャットダウンすることができず、「それに比べて俺は/私は、休日と言えば家でテレビ見て残り物食べてネットサーフィンするだけ…」と他人と自分を比較し、落ち込んでしまうのだとか。

つくづく、Facebookは言葉を選ばずにいうと、「主張することがいいこと。人の話を食い気味なくらいの発言してくのが正義」という欧米人文化にフィットしたSNSであり、人の投稿を見て、黙って落ちこむ日本人というのは、例えばアメリカ人から見たら理解できないんだろうなぁと思う。

加えて日本にはややこしい恥の文化とゆーのがあるので、開き直って「三連休、一歩も家から出えへんかってん。インドア万歳」とか、「あー、クリスマス近いから彼氏欲しいなー」とか本音の投稿はプライドが許さないのである。

で、落ちこむ自分に嫌気がさし、全て悪いのはFacebookを見るからだ!→退会。友達に「何でやめちゃったのー?」と聞かれても本当のことは言えず、「んー、何か最近忙しくて、全然投稿出来ないから」と言いつくろってみたり。

そういう私も苦手なFacebook投稿ジャンルというのはあって、誰かが結婚式に行ってきました投稿を上げたりすると、途端にブルーになるみたいだ。あー、また私以外の誰かが青々とした風になびく草原の向こう側に行ってしまったという気持ちになる。無意識のうちに人と自分を比べてしまっている。

そう考えるとFacebookは多くの日本人のメンタリティにはそぐわない気がして、発達しないのも頷ける。

人の投稿を幸せの基準としてしまうと、良い悪いのものさしを自分以外のところに求めてしまうので、幸せになるまでに時間を限りなく費やす。幸せになったとしても、自分の外にものさしがあるから、基準というのはすぐ変わる。恒常的に幸せでいることは難しい。

手っ取り早いのは、自分は投稿はしない主義!人の投稿を観察して情報収集に徹する、と決めて宣言してしまえば、言い換えれば同じ比較対象の丼の中から自分だけを除いてしまえば、そうそう落ち込んだりせずに済む気がする。

幸せは人との比較、人とのつながり、関係性の中にはない。それは自分の中に、ひっそりときらきら輝いている。誰かと一緒にいても、もしくはいなくても、何をしてても、もしくは何もしてなくても、幸せが自分の中にあれば、人と比較して落ち込む必要はない。

んー。何か哲学的になってしまった上に結論が弱いな。このお題については継続して考えよう。