イライラの行方

最近、とみにイライラすることで困っていると書いたが、最近はそのことで困らなくなった。イライラすること自体が減った気もするけど、それ自体がなくなったわけではない。

どちらかというと、イライラすることに慣れた感がある。今までは、「この真っ暗に胸を塗りつぶされたみたいな感情は何だ!?これは何だ!?イライラ?イライラしてるのか私は!何故だ何故だ何故だ!?私はどうすればいいのだー!」と全力で対処していたのが、最近は何かでカチンと来ても、「あ、いつものアレっすね、イライラっすね、ハイハイ了解。これ結構体力使いますよねー」と、自分の感情の起伏をパターン化して捉え、労力を抑えて対処しているんだな、というのを自分で感じる。

イライラしてるな、と思った時は、無意識のうちにそれについて深く考えることを避けている。気づくと知らない間にいま食べたいものについて考えていたり、週末の予定について考えたり。

エネルギーを節約できるという面においては、パターン化による対処というのは有効だけど、考えられるデメリットとしては、パターン化への過度な信頼による、瑣末な重要事項の見逃しがあると思う。

ひとことで言えば、慣れが呼ぶ感覚の麻痺による細かい大切なものの見落とし。

幸せなきもちも、ネガティブな気持ちも、慣れ過ぎは、それが想起される要因や状況を軽視することにつながるから、ある程度は緊張感を持って対処し続けた方が良い。

だから、人生は嬉しいことやつらいことがランダムや交互に起きて、人がひとつの感情に慣れないようになっているのかもしれないな、と思った。