『きっと、うまくいく』を三回観に行った理由

自分のことがちょっと頭おかしいんじゃないかと少し(少しね。ほんとに少し)心配になるけど、先日観た映画は、劇場に足を運ぶのは実に3回目だ。

全般的にあまりこだわりがないが、ある方面に関してだけはわりとしつこい性格であることは元々自覚していた。だけど、これほどまでとは自分でも思わず、やや驚いている。

どういう方面においてしつこいかというと、自分が好きなものと嫌いなものに関して。

例えば好きな食べ物(スイカと桃)。毎日でも食べたい。ぜーんぜん苦にならない。

例えば好きな音楽(BON JOVI)。どれだけ聴いても飽きない。むしろ、歌詞を暗記するほど聴いてから一緒に歌うのが楽しい。

例えば、嫌いな人(具体例は割愛)。イヤなことをされたら、一生忘れない。ずーっと覚えてる。

例えば嫌いな教科(数学)。例え落第するぞ、と先生に脅されても、頑として勉強せず、0点を取り続けた。いま思うとあれが私のツッパリハイスクールロケンロールだったのかも。高2の最後に先生が根負けして、最低の及第点をくれた。その後、その先生は寄せ書きに「踏まれてもタンポポ  咲いてこそタンポポ」としたため、感動した私に向かって、静かに「これはあなたのことじゃなくて、先生のことです」と言った。

そんな私が今年一番ハマった映画は「きっと、うまくいく」。インド映画だ。しかも三時間の超長尺。周辺情報だけ聞いたら明らかに観にいくことをためらうのに、何故3回もみたかといえば、それはただただ極上のエンターテイメントだったからだ。

ディズニーが大好きで東京ディズニーリゾートをリピートする人は、何故同じアトラクションやパレードに飽きもせず通い続けるのか、よく分からないと思っていたことがあった。

今ならわかる。毎回違う発見がある。そして、何回行っても飽きない、圧倒的な魅力があるに違いない、と今なら思う。

私にとっての「きっと、うまくいく」は、ディズニーファンにとってのディズニーリゾートであり、落語ファンにとっての志ん生のCDであり、ゴルフファンにとっての日曜午後のゴルフ番組なのだろうと思う。

私はサッカーに疎いのでどんな試合を見てもみんな同じに見える。要はボールを蹴って相手ゴールに入れればいいんでしょ。だが、サッカーファンにとっては、ひとつひとつの試合が全部違うらしい。試合の流れが、しかも劇的にカラフルに全然違うものとして頭に記憶されるそうだ。だから、同じ対戦相手でもあの年のあのゲーム、と即座に細かいところまで思い出せるし、何回でも試合を見に行けるんだそうだ。

「きっと、うまくいく」のすごいところは、試合運びが違うわけでもないし、出てくるプレイヤーが交代するわけでもないし、天候に左右されるわけでもないのに、毎回違う発見と、同じ満足度を与えてくれるところ。

私にとっての本物。

本物というのは人によって全然違うし、誰かにとってえー?というものが誰かにとって輝くダイヤモンドだったりするらしい。ということが、割と長く生きて最近わかった。

そんなに短くもないけど、永遠ではない人生において、私だけの本物が見つけられたことは、私にとって圧倒的な幸せだし、これからの人生を生きる糧になるだろうなと、頼もしく思う。

私の周りの全ての人に、人生を生き抜く上での相棒的な「本物」が寄り添っていますように。