自分の個人的ステータスにまつわる周辺事象についての個人的考察

私という生き物を定義づける構成要素の一つとして、「長期間独身のまま、年齢を重ねて今尚独身」という項目がある。

現在39歳。一言で言えば、「行かず後家」、だいぶ前の言葉では「オールドミス」、ちょっと前のはやり言葉では「負け犬」である。最新の流行り言葉で言うと何だろう。「独身こじらせ系」?

そんな自分の状態を悲しいとも面白いとも特に思わないが、一つだけ面白いことがあって、それは私の、世間的にはヤバイ「行き遅れ」状態に、異様に反応する人と、そうでない人がいる、そしてその人たちはある程度類型化できるということだ。

まず、私に対して「出会いを見つけなよ」「もっと積極的にならなきゃ」という進言めいたアドバイスをくれる人。

この人たちは二種類に分かれる。私のことを心から心配してくれて、私が幸せを逃さないように、いろんな懸念について私以上に考えて、コメントをくれる。もう一種類の人たちは、私という個体には関心はあまりないけど、恋愛とか結婚とかそういう人生におけるフワフワした甘い部分が大好物である。(このセグメントにいる人は、大体が既婚女性。自分の一生に一度の大イベントは終了しているので、人のが気になるらしい)つまり、この人たちにとってみれば、甘い部分さえ擬似体験させてくれる人であれば、わりと誰でもいい。というか、人じゃなくてもいい。だから古今東西ハーレクインが支持され、韓流ドラマが支持されるのだろうか。加えて不思議なことにこのセグメントに男性はいない。つまり、結婚という体験について、自分の納得、または満足の行く量的および質的結果を導き出せなかった場合、女性はドラマや人の話から得られる擬似体験によって満足しようとするのに対し、男性は擬似体験を求める人が圧倒的に少ないということだ。結婚してのち、もしも納得の行く結婚または恋愛体験を得られなかった場合、男性はどういう代償行為を求めて自分を満足させるのか、この辺は居酒屋などで是非リサーチしてみたいところである。

一方、“言わない人”も二種類に分かれる。私が独身で、長い間おつきあいする人もいなくて、もうそろそろ出産も生物学的なタイムリミット的見地からヤバイという個人的ステータスについて、何の反応も示さない人。多分、私や私の状況に心から興味がない人と、多少「大丈夫かなあの人…」と思っても、マナーの観点から、それを顔とか口には出さない人の二種類がいる。

まとめると

1:負け犬状態についてコメントする人
-対象個体の行く末を心から案じている
-対象個体の話から、単に擬似体験を得たい
2:負け犬状態についてコメントしない人
-対象個体に興味関心がない
-思うところは色々あるが、マナー上などの理由から、コメントを控えている

 私個人としては、結婚しないといけないんかなあ、と思いつつも、もうこんな年齢だから相手もいないし、とか、今更結婚しても子ども産めないかもしれないし、とかいろいろ言い訳をつけている。が、それらは単なる言い訳に過ぎず、先延ばしにしている本当の理由は、いまの生活が快適だからに他ならないのは自分でも理解している。結局、誰にも縛られず、自分の好きなように時間を使っていいし、自分の好きなようにお金を使っていい生活を手放したくないのだ。

一点不思議なのは、上記の通りまとめた負け犬状態についてコメントをくれる人に、翻ってご自身の結婚生活(又の名を勝ち組の暮らし)について聞いてみると、満足しているという答えが返ってきた人が、極端に少ないということだ。私調べでは今のところ一人しかいない。

つまり、現状では自分自身の結婚に成功していない(と自分で認識している)人が、他人に対しては結婚した方がいいよ、と言っていることになる。

ここに、性別による差や年代による差はあるのだろうか?私周辺だけだとあまりにサンプル数が少ないので、もっと広くリサーチしてみたいところではある。

独身こじらせるとめんどくさいよ、ということを言いたかっただけなのに、ものすごく長くなってしまった。いや、こういうめんどくさい性格だから、独身をこじらせてしまったのかもしれないな。