お辞儀の意味

太極拳を習っている。始めたきっかけは大河ドラマ並みの大長編になりそうだが、一言で言うと持病の片頭痛を何とか完治したかったのでいろいろ試してみた試みの一つだった。あれ、一言で終わったわ。始めて一年とちょっとになる。

近所のカルチャーセンターで習っていて、教えてくれる先生は背中の曲がったおばあちゃん先生だ。しかし、この先生は脚が180度開脚する、太極拳をやらせたらめちゃめちゃかっこいいおばあちゃんである。話が長くて毎回内容も同じなのが玉に瑕だが、私は大尊敬している。

今日のお稽古は生徒が私だけだったこともあって、いつもは説明しない細かいことも教えてくださった。毎回太極拳を始める前と後に深呼吸しながら深くお辞儀するのだが、先生はこのお辞儀は教えてくださる先生に敬意を表するためのお辞儀ではないと言った。

「まあ、そういう気持ちも少しは持ってた方がいいと思うけどね、これは私に対して尊敬とか感謝とかではなくて、もっと全体的な、例えばあなたが今日健康で、お金と時間に余裕があるから、こうやってこのクラスまでくることができて、私も健康でこのクラスに来られて、っていう小さな事実が積み重なって、太極拳をすることができるということに対しての感謝なのよ」

なるほど。

確かに片頭痛の発作がきてる時は、身体を動かすこともままならない。忙しかったら教室にも通えない。そう考えたら、太極拳をできることが嬉しくてたまらなくなった。

頭が痛くない状態って何て幸せなんだろう。とうきうきしながら受けていたらだいぶハッスルしていたらしく終わったらぐったり。


そう、太極拳は意外に身体を使うものみたいです。というよりは、やる人の習熟度によって難易度が変わってくるというほうが正しいかな。ヨガとかと同じで、できないところもあっていい、できるとこまでやればいい。鍛錬するうちにできるようになれば幸せ。できなくても、それはそれでオッケー。

クラスの終わりに必ず全員で唱和する言葉があって、それが最初少し宗教っぽいなーと思っていたのですが、今日は心から素直に唱和することができました。


朝は希望に起き、
昼は努力に生き、
夜は感謝に眠る。謝謝。

明日筋肉痛来ないといいなぁ。