活動量計を買って学んだこと

活動量計を買った。

軽度の糖尿病を疑われ、再検査となった内科の先生に「うん、数値としては心配ないレベルだけどね、ゆっくり痩せましょう」と言われ、勧めてもらったのが活動量計の着用。

 

進化した万歩計というか、運動に特化したスマートウォッチというか、身につけて生活すると心拍数や運動量や睡眠状態を自動的に計測してくれるらしい。スマホにアプリをダウンロードしたら、そこで「どんな質の睡眠をどれだけとったか」「今日どれだけ運動したか」「今日一日の消費カロリーと、摂取カロリーの対比(食べたものを入力すればね)」などが一目でわかる。Bluetoothでつなげる体重計とリンクすれば、体重や体脂肪率も自動的にデータを抽出してくれるらしい。

 

未来だなあ。

 

私はおひつじ座だから、というのは完全なる言い訳なんだけど、なんかにはまるととことん深堀りする性格である一方、飽きっぽい性分であることは自覚している。いくつかめっちゃ長いこと続いている趣味もあるけれど、基本は「わー!楽しそう!」と何かを始めて、しばらく熱中した後に、だんだん興味が薄れて忘れちゃうパターンが非常に多い。私の背後には、そうやって忘れ去られていった趣味(仮)の屍たちが積み重なって倒れている。

 

でも活動量計を買って、自分の一日の行動を「見える化」してみてつくづく感じたのは、「日々の細かい積み重ねが自分を作っているんだなあ」ということ。

今、めんどくさいけど、スクワット運動するかしないか。

今、もう寝たいけど、化粧落とすか落とさないで寝るか。

今、やりたくないけど、勉強するかしないか。

そういう小さなYES NOの選択が自分という人間を形作っているんだと思った。

たった一晩で奇跡は起きないけど、そういう小さな選択たちが、長期的な奇跡を起こすことは全く不思議じゃない。

活動量計はそういう小さな選択たちも「見える化」してくれたと思っている。

 

私の現在の相棒はこれ。

今後も宜しくお願い致します。(飽きないといいなあ…) 

 

家族との関係性と元旦

年末から実家に帰っていた。元日も恒例の墓参りに行った後実家で晩御飯を食べる予定だった。弟夫婦が元日から来ることがわかっていて、ちょっと気が重かったけど、まあ家族だし、付き合うかって気分だった。

 

でも直前の夕方、とてつもなく弟と顔を合わせるのが嫌になって、持病の薬持って来るの忘れたと言って無理やり自分のアパートに帰ってきた。

 

弟嫁は若いけどちゃんとしていて、まったく不満はない。弟の顔を見たらいちいち腹が立って、余計なことを言って喧嘩になりそうな自分が嫌で、自分ちに避難した。すき焼き食べるはずだったのに、頭痛を心配してくれた母親が持たせてくれたおにぎりを自分の部屋で食べながら泣いた。

 

どうして私は大切な家族に大切と伝えられないんだろう。世界にひとつだけの肉親に怒りを覚えてしまうんだろう。自分が嫌い。

自己肯定感が低い私が部屋の掃除を決意した話

すごーく久しぶりに書きます。

 

今日、ヨガに行ってきました。大好きな先生のレッスンはなかなか予定が合わず、月一くらいでしか行けないんだけどやめるつもりはないです。

 

レッスンの合間に、先生はいつもヨガに絡めて勉強になる話をしてくれます。呼吸が精神にもたらす効果、筋肉をうまく使うと体にどういう変化が起きるか、など。

 

今日のお話で、今の私のお腹にすとんと落ちてきたのは「自分を大切にする」こと。自分はこの世に一人しかいなくて、自分のことを最も理解してあげられるのは自分。この世にひとつしかない自分の命を、自分が大切に思わなくて誰が大切にしてくれるのか。

 

自分をたったひとつの宝物だと思って、優しく愛おしんであげてください。

 

その話が何となく自分の中心にじわじわ沁みて、何でだろうなあと思っていました。

 

変わって、さっき夜に銭湯に行きました。私は銭湯大好きです。知らない人と会話が弾むこともあるし、公共の場なのに全裸っていう一見矛盾してる様子がユーモラスで面白いし、何よりあったかくて気持ちいいから。

 

いつも朝シャワーを浴びるのに今日は時間がなくて浴びられなくて一日中ずっと気持ち悪い気がしていました。ヨガで汗もかいたし。銭湯でヨガの先生の話を思い出しながら、なんとなくいつもより丁寧に身体を洗っていたら、突然、あ、そういうことか!と理解できた気がしました。

 

自分が気持ち悪いと思ったら、心地よくしてあげる。例えば身体が汚れたらきれいにしてあげる。疲れたなと思ったら、身体を休めてあげる。嫌だなと思うことがあったら、その原因を取り除いてあげる。

 

書いてみると当たり前に思えるけれど、自分じゃない何かを優先させてしまうことってよくあります。

 

小さいところで言うと、お手洗いに行くのを我慢してキリのいいところまで会社でパソコンにかじりついていたり、頭痛がするのに我慢して出勤したり、気が進まないお誘いを断れずに参加したり。それって、自分以外の物や事を優先しているなあと思いました。自分が自分をおろそかにしたら、誰も私のことを面倒みてくれないから、この世で私の味方は一人もいなくなってしまう。

 

多分、私は自己肯定感が低いほうの人間なので、ついつい自分のことを後回しにしてしまいがちだと自分のことを理解しています。自己肯定感が低い人間が例えば身体が汚いと思っても、「どうせ私なんて、きれいにしたってたかが知れてる」と考えてしまいがち。例が極端すぎるか…自分以外の物や人に、より高い価値を感じているから、自分のことは投げやりになってしまう傾向があるみたいです。

 

自分を大切にするって、きちんと自分の面倒をみてあげることなんだな。そっか、自分のことを自分の子供だと思ったら、優先させてあげられる気がする。

 

わがままと自分を大切にしてあげることの境界線がまだあんまりよくわからないけど、とにかく自分を心地よくするために、自分の面倒は自分でみよう、と思いました。

 

というわけで、自分が心地よくあるために明日お部屋をきれいにしよう、と荒れ放題荒れた汚部屋を見ながら思いました。

 

よくスピリチュアル系の本で「部屋を掃除すると運気が上がる」って書いてあるけど、あれは自分が心地よくいられるからなんじゃないかなって気がしてきた。散らかった部屋にいると、荒んだ自暴自棄な気分になるもんね。誤った方向のハードボイルド。

 

掃除するぞ!

先週観た映画『アイアムアヒーロー』

大泉洋が出演する映画は全て観る、というのがマイルールなので、『アイアムアヒーロー』を観た。そして上映中、激しく後悔した。(作品としてはとても良い映画。なぜ後悔したかは後述する)

f:id:snowflakesonnose:20160510073115j:image

この映画を一言でいうと

「特別」になりたい普通の人間が、ゾンビに襲われるという極限状況の中で自分以外の誰かを守る役割に半強制的にめざめ、鈴木英雄という名前にふさわしいヒーローになれるのか、というお話。

こんな人におすすめ

自分の日常生活が同じことの繰り返しで、ありふれてるなーと思うひと。

個人的感想

主人公、大泉洋演じる鈴木英雄の冒頭の前段描写はとてもリアル。20歳の時に漫画の賞で佳作入選したきり、全く芽が出ない35歳の漫画家。プロ漫画家のアシスタントをしながら編集部に原稿を持ち込むも、「なんか、フツー」と言われてしまう毎日。長年同棲している彼女からも呆れられ、「英雄くんのは夢じゃなくて妄想だ」とアパートから叩き出される。

f:id:snowflakesonnose:20160510073134j:image

そんな中、突然日本を正体不明のウイルスが襲う。感染したひとはゾンビのようになり、周りの人間に襲いかかり、かみつく。噛みつかれた傷跡からウイルスが血液感染し、襲われたひともまた、ZQNと呼ばれるゾンビになる。爆発的な勢いで街に広がるZQN被害になすすべもなく、逃げ惑う一般の人たち。

命からがら逃げ続けた先で、未感染の人間コミュニティに行き着いた鈴木英雄とたまたま同行した女子高生は生き延びられるのか。

f:id:snowflakesonnose:20160510073145j:image

というのがあらすじ。

何故上映中後悔したかというと、一番最初に出てくるゾンビのシーンが、本当にシャレにならないほど怖かったからだ。後半、ゾンビが大量に出てくるシーンはあまりにシュールで少し笑ってしまうようになったけど、最初のシーンは自分を支えてきてくれた彼女が、知らない間にウイルス感染していたシーン。具合が悪くて部屋に寝ていると携帯に電話をかけてきた彼女に差し入れ(好物のメロンパン)を持っていったところ、鍵が開かない。携帯は中で鳴っているからいることはわかっている。もしや倒れて動けないのか!?と安アパートにありがちな、ドアに直接ついている郵便受けのふたを開けて中を覗くと、ベッドに寝ている彼女が糸の切れたマリオネットのようなあり得ない動きをし始めたかと思うと、突然ドアに突進し、英雄に襲いかかる…というシーン。

マジで怖かった。わたし、ホラー映画苦手なのに。お化け屋敷も「ホーンテッドマンション」がわたしが入れるギリギリのお化け屋敷なのに(あれも相当決意しないと入れない)。ちびるかと思った。いやむしろちょっとちびってたかもしれない。ビビりすぎて、帰りの電車の中で隣に立っているひとが突然ZQN化したら何を武器にして戦うか、いや、逃げるが勝ちか?と手に汗をかきながらシミュレーションしていたし、家に帰った後、とりあえず押入れから何からひとが隠れそうなところは全部開けて誰もいないことを確認してからじゃないと落ち着けなかった。

しかし、その点を除けば、英雄と名前につく自分を自嘲する主人公が、極限状況のなかで自分以外の誰かを守る(彼女を救えなかった後悔も含めて)という人間としての根源に目覚めて、少しずつ前進していく様も、とてもリアルだったし、力を合わせてZQNに対抗していかなければならないはずの未感染の人間コミュニティの内部で蠢めく、「ゾンビより普通の人間の方が怖いじゃん!」という暗いパワーバランスも描かれていて、これも「もしこの状況が実際に起きたら、こうなるんだろうなー」と納得のいくリアルさだった。

f:id:snowflakesonnose:20160510073204j:image

この主人公を、リアリティを持って、同時にどこから見ても立派なキラキラ系のヒーローじゃなく、ちょっと笑える脱力系のキャラとして演じられるのは、今の日本に大泉洋しかいない、と思った。

自信を持ってお勧めできる作品だけど、心理的に追い詰められるサイコスリラーや、静かな中で突然怖いのが出てくるメンタルをやられるホラーが苦手なひとは、私と同じように前半で映画館を出たくなるかもしれない。でも、そこさえ乗り切れば、あとは時々座席から小さく飛び上がるくらいのびっくりでおさまりそう。

またR15指定になっているので、血とか肉とか頭とか手足が飛び散るスプラッタ系が苦手なひと(私はこっちは全然平気)も要注意。予想以上に凄いことになっています。そういうのが好きな人には自信を持ってお勧めできます。漫画原作が未読なので、読もうかなと思いつつ、漫画は漫画でコマ割りでZQNが襲ってくる恐怖を緻密に表現したりして、相当精神にダメージを受けそうな気がしている。原作読んでいる方の感想をぜひ聞いてみたい。

昨日観た映画『ルーム』

 

前から観たかった、アカデミー賞主演女優賞をとった映画『ルーム』。先輩がお誕生日プレゼントにチケットを購入してくれたので、一緒に観に行った。

 

 

 

原作本は買っていて、でもまだ冒頭のシーンしか読んでいなかったので、ほぼほぼ新鮮な感じで観られた。観終わって思ったことは、この映画はもしかしたら、一切の事前知識なく観た方がよい映画かもしれない、ということ。だから私のこの感想も読まないほうがいいかもしれない。判断は読んでいる各個人に委ねる。何故そう思ったかは後に述べる。

gaga.ne.jp

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
(やっぱり読まない、と決めた方のために行間を多く取ってみた)

この映画を一言でいうと

7年間に渡り誘拐監禁された女性が誘拐犯の子供を身ごもり、その子と逃亡を企てる話。
 

f:id:snowflakesonnose:20160410122328j:plain

 

こんな人におすすめ

誘拐監禁されたことのない人。つまり、ほぼ全員。何故かというと、こんなにリアルに誘拐監禁犯罪に巻き込まれた人の心情が描かれた作品を私は他に観たことがないと思ったから。
 
もし仮に、犯罪に巻き込まれた人が観たら、リアル過ぎてフラッシュバックが起きるかもしれないと心配になるくらい、生々しかった。
 

個人的感想

冒頭のシーンは微笑ましい描写から始まる。目が覚めた男の子が家中の物に「おはよう、イス」「おはよう、洗面台」「おはよう、テレビ」と挨拶して回るシーンから始まる。行動の微笑ましさとは裏腹に、画面に映し出される部屋の様子の寒々しいこと。薄暗く、狭く、ジメジメしている。
 
なんだ、貧乏なシングルマザーと息子の頑張る様子を描いた感動ストーリーなのか?という浅はかな予想をあっさりと覆して、母親は、5歳になった息子に、自分たちが存在する世界は本当はこの部屋が全てではないことを説明する。あまりに淡々と説明されるので、思わず流しそうになる。
 
どれだけ逃亡を企てても監禁犯に阻止され失敗し、逃げ出すことを諦めて抜け殻となってしまった少女が妊娠に気づき、耐え難い自己嫌悪と葛藤と孤独な出産を経て、我が子を腕に抱いた時の身体が震える感動とこの子を守ろうという決意の瞬間、その日から母親になると決めた彼女が少女から強い女性になっていく過程は、全く描かれない。空白の描写がとても効果的だと思った。
 
少年の愛らしさが、生々しい衝撃的な事件と全く寄り添うことなく、確固として独自に映画の中に存在していて、監禁事件を描いている映画を観ていることを忘れてしまう瞬間が何度かあった。甘いスイカに塩をかけると甘さが際立つのに似ていると思った。
 
本当はこの感想文を読む前に本編を観て欲しいけれど、ストーリーはどちらかというと、監禁されている母子よりも逃亡に成功し、あれほど焦がれた日常と自由に戻ったふたりが(と言っても息子にとっては生まれて初めての自由だが)、在るべき場所になじめずに絶望するというのがメインテーマだと思った。それは単に直接手を下した侮蔑すべき誘拐犯(個人的にはこういう犯罪を起こす人間は、強制的に去勢するかレイプされるかのハムラビ法典適用を認めるべきだと思う。無知は罪、というが、想像力の欠如もまた、罪だ)だけでなく、視聴率を取るためにより際どい質問を被害者に投げかけ、センセーションを巻き起こし、でも自分の蒔いた種は何一つ刈り取らずにそそくさといなくなるマスコミも誘拐犯に加担して被害者を傷つけている。
 
誘拐監禁という、本来ならありえない歪んだバランスの場所で生まれた母と子の関係とその人間性が、ギシギシと音を立てて軋みながら、それでも人間らしく生きるための涙の出るような自分との闘いが、あますところなく描かれた作品だと思う。息子のジャックが、「ルームに帰ろうよ」というシーンが涙なしには観られない。客観的には思い出したくもないだろうなと思わされる、閉じ込められていた狭い部屋が、そこで生まれ育って、部屋の外に出たことのない彼にとっては世界の全てであり、アイデンティティの根源なのだ。
 
人間は弱い生き物であると同時に、とてつもなく強い生き物だ。その様は、細くて今にも折れそうな小さな木が嵐にもみくちゃにされながらも、しなやかに枝を曲げ、風に体を任せて決して折れずに晴天を待つ姿を思い起こさせる。
 

f:id:snowflakesonnose:20160410122336j:plain

決して拉致監禁事件を肯定するものではないし、辛い目に遭った方が人間は成長できるというスパルタ論を支持するものでもない。ただ、主人公の女性曰く、理由もなく「人生を破壊された」人間が、その後の人生までも奪われることにはならない、という点が、観ていて背筋が伸びる思いだった。
 
この映画を予備知識なしに観た方がいいと思ったのは、陰惨な拉致監禁事件の話、という先入観で「かわいそうな人を描いた暗そうな話だから観るのをやめようかな」と思ってしまう可能性があるからだ。
 
この映画は、決して暗い映画ではない。想像を超えた悲惨な運命にも負けず人間の尊厳と強さを優しいメロディで高らかに歌う、人間讃歌だと思う。人は、強い。あなたも、わたしも。
 

銭湯の効用

よく銭湯に行く。

嬉しいことがあったとき、気分転換したいとき、いやなことがあったとき、悩みごとがあるとき。

いい気分のときは、鼻歌を歌いながら、行ったことない遠くの銭湯に行ってみたりする。落ち込んでいるときはどよーんとした気持ちでいつも行く近所の銭湯に赴く。

不思議なのは、いい気分でテンションが上がっていても、落ち込んだ気持ちでどんよりしていても、大量のお湯に身体ごと浸かって一定期間たゆたい、頭のてっぺんから爪先まで気持ちよさを存分にあったまったところで上がると、た高いテンションでも低いテンションでもない、一定の穏やかな気持ちになれるところ。

自分をニュートラルポジションに戻してくれる。家の小さなお風呂だと、落ち込んだ気持ちは落ち込んだままだし、ハイテンションのときはハイテンションのままだ。なんでかな。

銭湯の大きな浴槽には、身体の汚れを落とすだけではない、不思議な力がある。身体だけじゃなくて、無意識にかぶっている精神的な仮面も全部元どおりに、素の自分に戻してくれるような気がする。ただ、お湯がたくさんあるだけなのに。

だから、私は今日も銭湯に行く。