月曜日の夢を見て、幸せになる衝撃的なヒントを得た。

土曜日の今朝、明け方に夢を見た。

 

土日を全く無為に過ごし、何もせずまた何の記憶もなく月曜日の朝を迎える夢で、目が覚めたとき、「月曜日か…」と沈んだ気持ちになった。

 

起き上がって会社に行く支度を始めたとき、違和感を覚えて、携帯のカレンダーをみたら(私は新聞を取っていないので)今日は土曜日だった。それでも信じられなくてテレビをつけた。やっぱり土曜日の晴れた気持ちのいい朝だった。

 

さっきまでの鬱々とした気持ちは吹っ飛び、文字通り身体が震えるレベルの圧倒的な幸せが私を覆い尽くした。

 

うれしいーーーー!!

今日土曜日ーーー!!

 

しばらく至福感を心ゆくまで味わった後、土曜日の光あふれる食卓で優雅な気分で土曜日の朝ごはんを食べながら考えた。

 

「今日が土曜日だという事実は、最初から最後まで何も変わっていない」

 

「にも関わらず、この気持ちの乱高下はどういうことかというと、ひとえに自分の認識の違いのみである」

 

「これはもしかして、人生において、常に幸せな気持ちで生きるための超ヒントなのでは?つまり、状況がどうであっても、自分の気持ち次第で幸せの度合いは簡単に変わるということが」

 

程度の差はあれ、どんな人生であっても、捉え方の差のみでそれが幸せか不幸せかは、変わってくる。

 

PHP研究所とかの本にはよく書いてある「常に前向きな気持ちを」とか、「明るい方を見よう」とか、字面だけ読んで理解したつもりになっていたけど、実際に自分が自分の身体と頭で体験して腑に落ちると、全然違うんだなと思った。

 

以前、誰かから聞いた話で、「あーもう若くないんだな」と思ったら、自分が今、あと5分くらいで臨終を迎える寝たきりの老人であることをしばらく(真剣に)想像してみて、それから一気に今の自分にタイムスリップしてきた、って考えると、あれもできる、これもできる!ってすごくやる気が出るって聞いたことがあって、それと似ているなと思った。

 

人によると思うけど、私は状況比較が好きみたいなので、一旦悪い状況を想像してから現実に戻るのが好きみたいだ。我ながらひねくれてるなと思う。

 

9/2 封印された記憶の夢

最近、とんと夢を見ない。

眠っている間の話だ。

 

でも久し振りに今朝見た夢は、なんだか変な夢だった。

 

私が現在生きづらいのは、過去のトラウマに原因があるのだ、と天啓を受ける夢だった。あまりに忌まわしすぎて封印してしまい、思い出すことのない記憶が冷たく硬く胸の奥でくすぶっているせいで、私はしあわせになれない。

 

具体的には、私がまだ物心つく前、現実でも知っている人(でももうこの世にはいない)から性的虐待を受けたことがそうなんだって。

 

夢の中で、「思い当たる節が全くない」と考えるが、それは覚えていると辛すぎるから、無意識が勝手にその記憶を封印してしまったから覚えてないだけなんだそうだ。でも、じゃあそのことがわかった今、わたしはトラウマから解放されるの?と天啓を告げた見えない存在に聞いてみたら、「そうともいえるし、そうでないともいえる。一言でいうと、全部あなた次第」と答えが聴こえて、その途端に目が覚めた。

 

目が覚めて、不思議な夢を見たもんだな、と考えた。

わたしは無意識のうちに生きづらさを感じているのかな。

私はしあわせなのに。

今までしあわせじゃない時もあったけど、今私はしあわせかふしあわせかと訊かれたら確実にしあわせなのになぁ。

 

性的虐待云々は夢の中の話なので実際の話ではない。現実のわたしにも、そんな記憶はない。でも夢の中であったとしても、「実際にあったことだけど、封印されてるから思い出せないだけ」って言われると、とたんに自信がなくなる。合わせ鏡の永遠に続く回廊を覗いてるみたいな不安感に襲われつつ、出かけます。

活動量計を買って学んだこと

活動量計を買った。

軽度の糖尿病を疑われ、再検査となった内科の先生に「うん、数値としては心配ないレベルだけどね、ゆっくり痩せましょう」と言われ、勧めてもらったのが活動量計の着用。

 

進化した万歩計というか、運動に特化したスマートウォッチというか、身につけて生活すると心拍数や運動量や睡眠状態を自動的に計測してくれるらしい。スマホにアプリをダウンロードしたら、そこで「どんな質の睡眠をどれだけとったか」「今日どれだけ運動したか」「今日一日の消費カロリーと、摂取カロリーの対比(食べたものを入力すればね)」などが一目でわかる。Bluetoothでつなげる体重計とリンクすれば、体重や体脂肪率も自動的にデータを抽出してくれるらしい。

 

未来だなあ。

 

私はおひつじ座だから、というのは完全なる言い訳なんだけど、なんかにはまるととことん深堀りする性格である一方、飽きっぽい性分であることは自覚している。いくつかめっちゃ長いこと続いている趣味もあるけれど、基本は「わー!楽しそう!」と何かを始めて、しばらく熱中した後に、だんだん興味が薄れて忘れちゃうパターンが非常に多い。私の背後には、そうやって忘れ去られていった趣味(仮)の屍たちが積み重なって倒れている。

 

でも活動量計を買って、自分の一日の行動を「見える化」してみてつくづく感じたのは、「日々の細かい積み重ねが自分を作っているんだなあ」ということ。

今、めんどくさいけど、スクワット運動するかしないか。

今、もう寝たいけど、化粧落とすか落とさないで寝るか。

今、やりたくないけど、勉強するかしないか。

そういう小さなYES NOの選択が自分という人間を形作っているんだと思った。

たった一晩で奇跡は起きないけど、そういう小さな選択たちが、長期的な奇跡を起こすことは全く不思議じゃない。

活動量計はそういう小さな選択たちも「見える化」してくれたと思っている。

 

私の現在の相棒はこれ。

今後も宜しくお願い致します。(飽きないといいなあ…) 

 

家族との関係性と元旦

年末から実家に帰っていた。元日も恒例の墓参りに行った後実家で晩御飯を食べる予定だった。弟夫婦が元日から来ることがわかっていて、ちょっと気が重かったけど、まあ家族だし、付き合うかって気分だった。

 

でも直前の夕方、とてつもなく弟と顔を合わせるのが嫌になって、持病の薬持って来るの忘れたと言って無理やり自分のアパートに帰ってきた。

 

弟嫁は若いけどちゃんとしていて、まったく不満はない。弟の顔を見たらいちいち腹が立って、余計なことを言って喧嘩になりそうな自分が嫌で、自分ちに避難した。すき焼き食べるはずだったのに、頭痛を心配してくれた母親が持たせてくれたおにぎりを自分の部屋で食べながら泣いた。

 

どうして私は大切な家族に大切と伝えられないんだろう。世界にひとつだけの肉親に怒りを覚えてしまうんだろう。自分が嫌い。

自己肯定感が低い私が部屋の掃除を決意した話

すごーく久しぶりに書きます。

 

今日、ヨガに行ってきました。大好きな先生のレッスンはなかなか予定が合わず、月一くらいでしか行けないんだけどやめるつもりはないです。

 

レッスンの合間に、先生はいつもヨガに絡めて勉強になる話をしてくれます。呼吸が精神にもたらす効果、筋肉をうまく使うと体にどういう変化が起きるか、など。

 

今日のお話で、今の私のお腹にすとんと落ちてきたのは「自分を大切にする」こと。自分はこの世に一人しかいなくて、自分のことを最も理解してあげられるのは自分。この世にひとつしかない自分の命を、自分が大切に思わなくて誰が大切にしてくれるのか。

 

自分をたったひとつの宝物だと思って、優しく愛おしんであげてください。

 

その話が何となく自分の中心にじわじわ沁みて、何でだろうなあと思っていました。

 

変わって、さっき夜に銭湯に行きました。私は銭湯大好きです。知らない人と会話が弾むこともあるし、公共の場なのに全裸っていう一見矛盾してる様子がユーモラスで面白いし、何よりあったかくて気持ちいいから。

 

いつも朝シャワーを浴びるのに今日は時間がなくて浴びられなくて一日中ずっと気持ち悪い気がしていました。ヨガで汗もかいたし。銭湯でヨガの先生の話を思い出しながら、なんとなくいつもより丁寧に身体を洗っていたら、突然、あ、そういうことか!と理解できた気がしました。

 

自分が気持ち悪いと思ったら、心地よくしてあげる。例えば身体が汚れたらきれいにしてあげる。疲れたなと思ったら、身体を休めてあげる。嫌だなと思うことがあったら、その原因を取り除いてあげる。

 

書いてみると当たり前に思えるけれど、自分じゃない何かを優先させてしまうことってよくあります。

 

小さいところで言うと、お手洗いに行くのを我慢してキリのいいところまで会社でパソコンにかじりついていたり、頭痛がするのに我慢して出勤したり、気が進まないお誘いを断れずに参加したり。それって、自分以外の物や事を優先しているなあと思いました。自分が自分をおろそかにしたら、誰も私のことを面倒みてくれないから、この世で私の味方は一人もいなくなってしまう。

 

多分、私は自己肯定感が低いほうの人間なので、ついつい自分のことを後回しにしてしまいがちだと自分のことを理解しています。自己肯定感が低い人間が例えば身体が汚いと思っても、「どうせ私なんて、きれいにしたってたかが知れてる」と考えてしまいがち。例が極端すぎるか…自分以外の物や人に、より高い価値を感じているから、自分のことは投げやりになってしまう傾向があるみたいです。

 

自分を大切にするって、きちんと自分の面倒をみてあげることなんだな。そっか、自分のことを自分の子供だと思ったら、優先させてあげられる気がする。

 

わがままと自分を大切にしてあげることの境界線がまだあんまりよくわからないけど、とにかく自分を心地よくするために、自分の面倒は自分でみよう、と思いました。

 

というわけで、自分が心地よくあるために明日お部屋をきれいにしよう、と荒れ放題荒れた汚部屋を見ながら思いました。

 

よくスピリチュアル系の本で「部屋を掃除すると運気が上がる」って書いてあるけど、あれは自分が心地よくいられるからなんじゃないかなって気がしてきた。散らかった部屋にいると、荒んだ自暴自棄な気分になるもんね。誤った方向のハードボイルド。

 

掃除するぞ!

先週観た映画『アイアムアヒーロー』

大泉洋が出演する映画は全て観る、というのがマイルールなので、『アイアムアヒーロー』を観た。そして上映中、激しく後悔した。(作品としてはとても良い映画。なぜ後悔したかは後述する)

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この映画を一言でいうと

「特別」になりたい普通の人間が、ゾンビに襲われるという極限状況の中で自分以外の誰かを守る役割に半強制的にめざめ、鈴木英雄という名前にふさわしいヒーローになれるのか、というお話。

こんな人におすすめ

自分の日常生活が同じことの繰り返しで、ありふれてるなーと思うひと。

個人的感想

主人公、大泉洋演じる鈴木英雄の冒頭の前段描写はとてもリアル。20歳の時に漫画の賞で佳作入選したきり、全く芽が出ない35歳の漫画家。プロ漫画家のアシスタントをしながら編集部に原稿を持ち込むも、「なんか、フツー」と言われてしまう毎日。長年同棲している彼女からも呆れられ、「英雄くんのは夢じゃなくて妄想だ」とアパートから叩き出される。

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そんな中、突然日本を正体不明のウイルスが襲う。感染したひとはゾンビのようになり、周りの人間に襲いかかり、かみつく。噛みつかれた傷跡からウイルスが血液感染し、襲われたひともまた、ZQNと呼ばれるゾンビになる。爆発的な勢いで街に広がるZQN被害になすすべもなく、逃げ惑う一般の人たち。

命からがら逃げ続けた先で、未感染の人間コミュニティに行き着いた鈴木英雄とたまたま同行した女子高生は生き延びられるのか。

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というのがあらすじ。

何故上映中後悔したかというと、一番最初に出てくるゾンビのシーンが、本当にシャレにならないほど怖かったからだ。後半、ゾンビが大量に出てくるシーンはあまりにシュールで少し笑ってしまうようになったけど、最初のシーンは自分を支えてきてくれた彼女が、知らない間にウイルス感染していたシーン。具合が悪くて部屋に寝ていると携帯に電話をかけてきた彼女に差し入れ(好物のメロンパン)を持っていったところ、鍵が開かない。携帯は中で鳴っているからいることはわかっている。もしや倒れて動けないのか!?と安アパートにありがちな、ドアに直接ついている郵便受けのふたを開けて中を覗くと、ベッドに寝ている彼女が糸の切れたマリオネットのようなあり得ない動きをし始めたかと思うと、突然ドアに突進し、英雄に襲いかかる…というシーン。

マジで怖かった。わたし、ホラー映画苦手なのに。お化け屋敷も「ホーンテッドマンション」がわたしが入れるギリギリのお化け屋敷なのに(あれも相当決意しないと入れない)。ちびるかと思った。いやむしろちょっとちびってたかもしれない。ビビりすぎて、帰りの電車の中で隣に立っているひとが突然ZQN化したら何を武器にして戦うか、いや、逃げるが勝ちか?と手に汗をかきながらシミュレーションしていたし、家に帰った後、とりあえず押入れから何からひとが隠れそうなところは全部開けて誰もいないことを確認してからじゃないと落ち着けなかった。

しかし、その点を除けば、英雄と名前につく自分を自嘲する主人公が、極限状況のなかで自分以外の誰かを守る(彼女を救えなかった後悔も含めて)という人間としての根源に目覚めて、少しずつ前進していく様も、とてもリアルだったし、力を合わせてZQNに対抗していかなければならないはずの未感染の人間コミュニティの内部で蠢めく、「ゾンビより普通の人間の方が怖いじゃん!」という暗いパワーバランスも描かれていて、これも「もしこの状況が実際に起きたら、こうなるんだろうなー」と納得のいくリアルさだった。

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この主人公を、リアリティを持って、同時にどこから見ても立派なキラキラ系のヒーローじゃなく、ちょっと笑える脱力系のキャラとして演じられるのは、今の日本に大泉洋しかいない、と思った。

自信を持ってお勧めできる作品だけど、心理的に追い詰められるサイコスリラーや、静かな中で突然怖いのが出てくるメンタルをやられるホラーが苦手なひとは、私と同じように前半で映画館を出たくなるかもしれない。でも、そこさえ乗り切れば、あとは時々座席から小さく飛び上がるくらいのびっくりでおさまりそう。

またR15指定になっているので、血とか肉とか頭とか手足が飛び散るスプラッタ系が苦手なひと(私はこっちは全然平気)も要注意。予想以上に凄いことになっています。そういうのが好きな人には自信を持ってお勧めできます。漫画原作が未読なので、読もうかなと思いつつ、漫画は漫画でコマ割りでZQNが襲ってくる恐怖を緻密に表現したりして、相当精神にダメージを受けそうな気がしている。原作読んでいる方の感想をぜひ聞いてみたい。